男の夢 坂本龍馬の「脱藩」を論じよう

NHK大河ドラマ『龍馬伝』に感化されたおじさん多数
週刊現代 プロフィール

「当時の土佐藩では、長宗我部(ちょうそかべ)氏の郷士(下士の中で最上位格の武士)と、関ヶ原の戦いで活躍した山内氏の上士(下士より上位の武士)という2つの勢力が対立していました。郷士の多くが尊皇攘夷運動に身を投じ、武市を中心にまとまっていましたが、上士は公武合体派(朝廷と幕府を結び、幕府に力を戻そうとした派閥)だった。
  しかも、上士は公武合体を推進していく中で、攘夷派を弾圧してきました。そのため、郷士たちは活路を見出さざるを得ず、余儀なく脱藩する者が多かったのです」(河合氏)

 反発するものは殺す。それが厳しい身分制度を強いた土佐藩のやり方だった。村上氏が言う。

「土佐藩主の山内容堂は、幕末の四賢侯と言われていますが、攘夷派23人が藩に藩政改革の嘆願書を提出したため殺された野根山二十三士事件など、随分ひどい政治をやっていた。
  龍馬の初恋の相手とされる平井加尾の兄・収二郎など、錚々たる連中が土佐勤皇党に加盟したということで殺されています。 最終的に、武市半平太も切腹させられる。極端な専制政治でしたから、山内家に対する反発は強かったのです」

長男じゃなかったから

 そんな状況こそあったが、龍馬の脱藩は計算しつくされたものだったという。

「龍馬は合理的でクレバーな人。情に左右されず、理知的に動けるタイプです。人情で動くというイメージは、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』によるものだと思います。脱藩に関しても、兄・権平(ごんぺい)にも決意を語っていますし、諸説ありますが、坂本家伝来の刀を持って脱藩している。つまり、家公認の脱藩とも言えるのです。親戚にも脱藩の際、お金をもらっていますから。
  当時の記録では、脱藩した3月24日は雨が降っていたそうです。龍馬はその刀を濡らさぬよう、油紙に包んで抱えるように国境越えをしたと言われている。そのエピソードだけでもかなりドラマチックですね。
  たしかに、攘夷の浪士には、脱藩者に門戸を開放していた長州や水戸が助けてくれるという思惑があった。尊皇の志士だと脅せば、商人から金を巻き上げられると考えた浪士もいた。しかし、龍馬にはそういう他力本願的な考えはなかった」(長尾氏)

「脱藩後、龍馬は『軍艦や大砲を作る技術を確認するために薩摩に向かった』とか、『儒学者の横井小楠(しょうなん)に会った』など、諸説ありますが、正確なところはわかりません。ただ、しばらくはお金に困っていたようで、刀の柄頭(つかがしら)を売ってしまい、そこに白い布を巻いていたという話もあります」(河合氏)

 土佐藩に残れば、立場は保証される。肩書を選ぶか、理想を追い求めるか。龍馬は迷わず後者を選んだ。安藤氏もこう言う。

「何も当てがなく脱藩したわけではないと思います。正規の軍隊以外に、脱藩者だけで構成した軍隊を持つ長州に行ったこと、一人ではなく、沢村惣之丞(そうのじょう)と二人で脱藩していることも無計画ではない証拠です」

 実は龍馬が次男であったことも、脱藩の追い風となっていた。