男の夢 坂本龍馬の「脱藩」を論じよう

NHK大河ドラマ『龍馬伝』に感化されたおじさん多数
週刊現代 プロフィール

「龍馬は土佐すべてを尊皇攘夷にするのは無理だと感じていた。でも、武市はそれができると思った。だから龍馬は、土佐藩を丸ごと見捨てるしかなかったのでしょう。結局、龍馬は友情よりも自分の理想を選択したんです。
  感情に任せた脱藩ではありません。おそらく龍馬は、脱藩することで身を滅ぼすとは考えていなかったと思います。そういう計算をした理由として、当時、世情が混乱し、脱藩者に追っ手をかけるほどの余裕が、藩になかったという背景がある。"国境"を越えてしまえば、身は安全だったとも言えるのです」

 しかも、時代は少しずつ動いていた。原口氏が言う。

「幕末になると状況が変わってきます。藩が脱藩者を情報収集や政治的な働きかけに利用するため、黙認するケースが出てきたんです。また、ペリー来航以来、力を失っていた朝廷に幕府が条約締結の許可を求め、朝廷が改めて政治的な意味を持つようになっていた。
  そのため、藩の壁を超えて政治的な行動をする場合、『藩士ではあるが、藩より上の朝臣に仕えているんだ』というイデオロギーが広まっていた。こういった大義名分もあり、事実上、脱藩が黙認されることが増えました」

次々に殺された

 歴史研究家の河合敦氏は、龍馬が脱藩という決断へ至ったキーパーソンを挙げる。

「まず、日本画家の河田小龍です。彼は若い頃にジョン万次郎から、諸外国の発展を聞かされていた。その河田に出会い、『刀で異国を倒すことはできない。軍艦を手に入れて海軍を作ることが、異国を倒す道だ』ということを学んだのです。
  脱藩する2ヵ月前には、武市の使いで長州藩へ行き、吉田松陰の弟子で、長州藩における尊皇運動のリーダーのひとり、久坂玄瑞(くさかげんずい)と面会している。
  久坂は非常に熱烈な尊皇攘夷の志士ですが、龍馬に託した武市宛ての書簡には、『朝廷や日本のためだったら、長州藩や土佐藩なんか潰れてしまってかまわない』という内容が書いてあった。おそらく、久坂は龍馬に対しても、同じようなことを言った可能性が高い。
  龍馬にとって、久坂の考えは衝撃だったはずです。武士にとって、藩というものは大切に守り、代々伝えていくべきものであって、そこにいる限りは永久に俸禄(ほうろく)をもらえる大切なものでしたから。
  ちなみに龍馬脱藩の直前、土佐勤皇党の中心人物の一人である吉村寅太郎が、武市との考えの相違を理由に藩を出た。この一件も、龍馬に脱藩を決意させた要因の一つだと思います」

 幕末の土佐藩は、他藩に比べ脱藩者の数がかなり多かったともいう。