【沿線革命003】
上野東京ライン開業で混雑緩和も、どうなる上野の未来?

阿部等(交通コンサルタント)

上野の活性化策

その上で、後ろ向きのことばかりでなく前向きのことを書こう。

上野駅の13~17番線は、ヨーロッパのターミナル駅に多い、くし型のホームからなる地平駅(https://www.google.co.jp/maps/@35.7141407,139.7774021,1029m/data=!3m1!1e3
)である。宇都宮・高崎・常磐線の多くの列車が上野で折返さなくなると、これほど多くの番線とホームは不要となる。

ということは、駅直近の大規模開発をする大チャンスである。

かつてバブル景気の頃、上野駅の地平ホームの上空に超高層ビルを建設する構想があった(http://i-a-a.co.jp/projectInfo.php?lang=jp&num=208)が、関係者の合意がまとまらず立ち消えとなった。

営業線の直上へのビル建設は大きなコストを要したことが大きな原因だった。今回は線路を撤去できるのであるから、工事費が大幅に低減され話は全く別である。

現在、9・10番線の真下に13番線、11・12番線の真下に14・15番線がある(http://www.jreast.co.jp/estation/stations/204.html)。上野駅を終端駅でなく中間駅と位置付ければ、山手・京浜東北線の1~4番線の他に、宇都宮・高崎線を5~8番線、常磐線を9・10・13番線としても番線は足りるのではないだろうか。

そうすると、南北400m、東西50m、面積2ha程度の更地の開発用地が生まれる。それがなんと、上野駅という大ターミナルの直近にである。

こんなことは、私が提案するまでもなく、関係者の間では既に検討が始まっているかも知れないが、災い転じてチャンスと為すの精神で上野を活性化して欲しい。なにしろ、上野の開業は1883(明治16)年7月で、1914(大正3)年12月に開業した東京よりも、1885(明治18)年3月に開業した新宿よりも歴史の長いターミナルなのだ。東京で、もちろん日本で最初の地下鉄も、上野を起点として1927(昭和2)年12月に開業した東京地下鉄道(現東京メトロ)の浅草までの路線だった。

他にも上野の拠点性を高める提案がいくつかあり、それらは次回に譲る。

読者の皆様へ

ツイッターで「沿線革命」と検索すると、多数の方がツイート下さったことが分かる。それにより「沿線革命」の考え方が広まるのはありがたいことだ。感想を書き足している方もいらっしゃり、私自身もそれらを読むと気付きを得られる時がある。

上野東京ラインの原稿については「東京や上野で座れない」や「合理的な反面トラブル時のボトルネックになるかも」という声は予想通りで、「湘南新宿ラインの混雑が緩和されるかも」は解説した通り。だが、「高崎線・宇都宮線の乗客が減るわけではないから赤羽以北の混み方は変わらない」からは新たな気付きを得た。

「赤羽以北の混み方は変わらない」では済まず、大宮-上野は京浜東北線その他からシフトして利用者が結構増えるだろう。宇都宮・高崎線の本数は変らないので、混雑率は上昇する。しかも、上野東京ライン直通と上野止まりが混在するので、直通に集中し、最混雑列車の混雑率はより上昇する。常磐線も同様である。

東京や上野で座れなくなることとトラブル時の問題と併せて、ではどうしたら良いか(利用者ではなく鉄道会社が)については次回に触れよう。

本コラムでは、読者の皆様の自由な質問や意見をお受けする(http://light-rail.blog.jp/archives/1014464871.html)。また、紹介した現状の計画や構想について、お気づきの点があったら、ぜひご指摘願いたい。すべての投稿に目を通した上で以降の執筆の参考とさせていただく。

阿部等(あべ・ひとし)1961年生まれ。東京大学 工学部 都市工学科卒。88年にJR東日本に入社し、保線部門を中心に鉄道の実務と研究開発に17年間従事。2005年に同社を退社し(株)ライトレールを創業、交通計画のコンサルティングに従事。2008年『満員電車がなくなる日 鉄道イノベーションが日本を救う』を上梓した。日経ビジネスオンライン「地下鉄24時間化より満員電車の解消を」「低運賃が日本の鉄道をダメにしている」に対しても、多数の意見がネットを賑わしている。FacebookとTwitterにて実名で情報発信し、いずれも交通を中心にお堅い話題に徹している。交通や鉄道の未来を拓きたい方のために、交通ビジネス塾(http://www.LRT.co.jp/kbj/)を主催し、工学院大学オープンカレッジ鉄道講座(http://www.LRT.co.jp/kogakuin/)の事務局を務めている。