上野-東京にはかつて、1956(昭和31)年11月以来、山手線と京浜東北線がそれぞれ複線で運行する他に、東北本線・常磐線と東海道本線を結ぶ線路があった
「ひばり」「とき」「ひたち」といった特急の一部が東京まで乗入れ、また、熱海発の前橋行きといった中距離列車も運行していた。
右は、1972(昭和47)年1月号の『時刻表』だ。
左側の2本目の列車には「前橋着」、右側の1本目の列車には「熱海発」「東京発」の記載がある、とき5号にも「東京発」の記載がある。
東北新幹線を建設する際、東京から秋葉原付近までは高架橋、そこから上野の地下駅を含めて西日暮里付近までは地下とされた。
神田付近は6線分の用地幅(中央線を除く)に対し左右とも直近に多数のビルが建ち、拡幅は不可能で、在来線の線路用地を転換をすることで、東北新幹線は開通した。
在来線の線路は1974(昭和49)年4月に定期列車の運行が取りやめとなった。以来、今回の上野東京ラインの開業は、国鉄からJR東日本をまたいで、41年という長い期間を経ての線路の復活である。
1974(昭和49)年には、東北新幹線と東北縦貫線(現上野東京ライン)を同時に建設する構想だった(http://www.kanda-kankyo.net/images/pdf/Material7.pdf)。
しかし、地元からは、工事や列車走行に伴う騒音・振動、日照権の侵害、大地震時の倒壊の恐れといった理由での反対意見が強く、計画決定できなかった。私がJR東日本に在職していた間、関係する部署には、背表紙に「東北縦貫線」と書かれたくすんだ分厚いクリアファイルがあったものだった。
そして、東北新幹線のみが着工して1991(平成3)年6月に開業した。
その後も、宇都宮・高崎線から東京方面への乗換え客が集中する山手・京浜東北線は、相変らず混雑を極めた。
その緩和を願う埼玉県が、両線の東京駅乗り入れを要望する等、上野と東京を在来線で結ぶ線路の増設を求める声が高まり、2000(平成12)年の運輸政策審議会答申第18号において「2015(平成27)年までに開業することが適当である路線」に指定された。