第105回 ティファニー(その二)父の資産のお蔭で息子は美を探究―「ガラスの工芸」が大豪邸に調和した

福田 和也

1886年、チャールズ・ティファニーの74回目の誕生日、ニューヨークのマディソン街に豪邸が完成した。
ティファニー家の全員が住む家であった。
重厚なレンガ造りの五階建て、部屋数が50もある、この邸宅の装飾を任されたのは、ルイスだった。

ルイスはこの邸宅で、光と色彩、機能と美の輝かしい調和という若い頃からの夢を実現させた。

「鹿の窓」「ルイス・C・ティファニー庭園美術館」(島根県松江市にあったが、'07年閉館)に展示されたステンドグラス

それまで培ったガラス技術の全てが駆使され、意匠を凝らされたステンドグラスからは、明るい陽射しが差し込んだ。まさに光に満ち溢れた家であった。
訪れた人がとくに感心したのは、ルイスの居間に設えられた鉄の暖炉だった。それは、一階の床から全ての階を貫いて煙突が立っていたのだ。
またその部屋には、吊りランプ、錬鉄製の飾り、ダチョウの卵などが所せましと吊り下げられていたという。

東洋の骨董品が並べられている部屋もあり、とにかく贅が尽くされた家であった。
ところが、自分の夢と努力の結晶ともいえるこの家に、チャールズ・ティファニーは住もうとしなかった。

その代りに建築物の梁に、警句を彫らせた。
それは次のような言葉であった。

「善人はめったにいない。自分自身にも気をつけなさい」
「隠遁生活は霊感に満ちている」
(『日本を愛したティファニー』久我なつみ)

こうした父親の警句が常に身近にあったからこそ、事業で大成功をおさめ、豪邸に住むようになったルイスは大きく足を踏み外さずにすんだのかもしれない。

同じ年、ルイスは再婚した。
相手のルイーズ・ウェイクマン・ノックスは長老教会派の牧師の娘だった。母親の実家は海運業で財を成していて、デュポン社の創業一族と血縁関係にある家柄だった。

このとき、ルイス38歳、ルイーズ34歳。3人の子供に新しい母親ができ、家庭生活も落ち着き、この後ルイスは自分のガラス作品の制作に、さらなる力を注いでいくこととなる。

『週刊現代』2014年12月20日号より

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