第103回 力道山(その四)総費用1億円の結婚式を挙げ、新婚旅行は1ヵ月。豪奢な幸福の後に……

福田 和也

翌日、相撲協会理事の高砂親方が、リキ・アパートを訪ねることになっていた。
ロサンゼルス巡業を計画している相撲協会は、力道山に協力を求めてきたのである。
力道山は、快諾した。
かつて自分を廃業に追い込んだ相撲協会が頭を下げてきたのだ。これほど痛快なことはない。

上機嫌の力道山はその夜、料亭「千代新」で食事をし、その後TBSラジオにゲスト出演、ナイトクラブ「コパカバーナ」に予約をしていたがキャンセルして、赤坂の「ニューラテンクォーター」に向かった。

8日深夜、力道山はその店内で住吉連合会小林会組員と喧嘩になり、刃渡り13センチのナイフで刺されてしまった。

力道山の結婚式 会場のホテルオークラでカメラマンに囲まれる力道山と敬子夫人。自民党副総裁が媒酌人だった

『力道山』(岡村正史著)によれば刺された直後の力道山の様子について、「内臓の一部が飛び出ていた」、「脇腹から血がポタポタとしたたり落ちた」など、様々な報道がされたが、唯一の目撃者とされているニューラテンクォーターの支配人であった山本信太郎は、「力道山と犯人の間には言いあいもなかったし、力道山の腹部に血は流れていなかった。下に着ていたシャツに小さな穴が空いて、わずかな血痕がついていただけだった」と言っていたという。

実際力道山は、ステージに上がり、「皆さん、気をつけてください、この店には殺し屋がいます」と言えるくらい元気だったのだ。

その後、山王病院で応急処置を受け、翌日の早朝、3時間に及ぶ手術が施された。
手術後の経過は順調で、2週間で回復するはずだった。
ところが、1週間後に容態が急変。再手術となった。
その日、12月15日午後9時50分、力道山は永眠した。

力道山の死因は、手術後の炭酸飲料の飲み過ぎ、医療ミスなど様々に指摘されているが、未だに藪の中である。

12月20日、東京の池上本門寺で力道山の葬儀が行われた。
葬儀委員長は大野伴睦だったが、日韓交渉でソウルに赴いていたため、児玉誉士夫が代理を務めた。
式には政財界、興行界、スポーツ界の大物たちがずらりと顔をそろえた。彼らが当たり前のように席を同じくしているところに、力道山がいかなるスーパースターであったかが現れている。

『週刊現代』2014年12月6日号より

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