けれども当時の私たちの頭の中は「一発あてれば、借金は綺麗になる」と現実逃避でいっぱいになり、「大きく当てるまでは止められない」と思いこむようになりました。
実はこの「ギャンブルの負けはギャンブルで取り戻す」というのが、ギャンブル依存症患者の典型的な考え方の一つなのです。そして私たちもご多分に漏れず、「大きく当てるまで賭け続けなければ」という強迫観念から、カジノで一晩に200万円も使ってしまうまでになったのです。
夫と共に依存症状態になったのは、私自身の生い立ちにも原因があったと思います。
私の父は、私が3歳の頃、ギャンブルによる借金のため、会社のお金を横領し、懲戒解雇になりました。母は離婚して私を連れて実家に戻りましたが、母方の祖父も無類のギャンブル好きで、毎日のようにパチンコに行っていました。
小学校にあがる前から既に、祖父に連れられパチンコ屋さんに出入りし、親類が集まれば、大人も子供も一緒になってトランプや花札で賭けごとに興じる日々。
私は結局、ギャンブルの影響を大きく受けて育ち、祖父、父、私と"3代続くギャンブラー家系"になってしまいました。ただ、「考える会」の活動を通じて出会った患者さんのご家族の話を聞くと、これは決して珍しいことではないようです。
夫の話に戻りましょう。
ギャンブル依存症という「プロセス依存」も、アルコール・薬物のような「物質依存」と全く同じような症状に陥るといわれていますが、私はそれを身を持って体験しました。
徹夜続きでギャンブルをしている間は、まるで覚せい剤でも打ったかのように頭が冴え渡る感覚にとらわれ、逆にギャンブル以外の時間は体がだるくて仕方なく、歩きながら眠りこけて転んでしまったこともありました。
そんな荒れた生活が3年間も続き、さすがに限界を感じた私は、入っていた生命保険を解約し、借金を綺麗に清算してから結婚することにしました。
結婚を機に再就職も果たし、私も夫も落ち着きました。しかし平穏な日々は長くは続きませんでした。ある休みの日、夫が席を立った拍子に、ポケットから定期入れがこぼれ落ちました。そしてその中から消費者金融のカードが11枚も、バーッと床に拡がったのです。
その瞬間から、我が家は再び修羅場と化しました。
「ギャンブルに手を出して借金を作ってしまった」
突然神妙な顔つきで告白する夫をみた時の恐怖は今でも忘れられません。
「いくらなの?」と聞くと、夫は「230万円」と答えました。
「結婚して、これから子供も作ろうっていうときに、何やっているのよ!!」
泣きながら謝る夫を前に、私は絶叫し、怒り狂いました。