[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
田淵幸一さん(野球解説者)<後編>「ONという高い山」

スポーツコミュニケーションズ

監督を胴上げで落としたかった?

二宮: 1978年のオフには、古沢憲司さんとともに2対4のトレードで阪神から西武に移籍しました。この時はショックだったのでは?
田淵: トレードで喜ぶ奴は誰もいないですよ。阪神から連絡が来たのは、夜中です。12時か1時頃だったかな。パジャマを着て寝ようかと思っていたところに「ホテルに来てくれ」と言われた。その時に“たぶんトレードだな”と直感しましたよ。いくら急を要する話とはいえ、次の日の午前中や昼間に呼び出すのが普通でしょう。

二宮: 常識的にはそうですよね。
田淵: “もう、こういう球団だったら”と、腹はくくっていたんですよ。江夏を出し、私を出した。この時、阪神は(ドン・)ブレーザーが新監督になりました。外国人の監督に「ああいうやつはいらん」というようなことを言われたんじゃないでしょうかね。でも、おかげで根本(陸夫)さん(当時の監督)との出会いがあった。この人がいなければ、今の私はなかったと思います。

二宮: これもまた不思議な運命ですね。西武に移籍して4年目のシーズン、根本さんが作った礎を広岡達朗さんが継ぎ、チームは日本一になりました。広岡さんとは最初、うまく行ってなかったようですね。
田淵: はっきり言って、私は広岡さんのことをあまり好きじゃありませんでした。広岡さんが就任したばかりの秋季練習で、みんなを集めて、こう言ったんです。「この球団で最高給取りがいます。その選手が守れない、走れない」。これが第一声でした。私は今でも忘れられません。

二宮: それは田淵さんのことを指していたわけですね。
田淵: 名前は言わないんですよ。でも、みんなが私の顔を見た(笑)。次に広岡さんはこう言った。「いいピッチングをしてもね。最後には打たれて負ける」。これは東尾(修)のこと。そういうふうに大田(卓司)、石毛(宏典)も、めちゃくちゃに言われましたよ。それが最初だったので、広岡さんには冷酷、冷徹というイメージをずっと持っていましたね。

二宮: 反発した選手も多かったのでは?
田淵: 正直、“これで野球人生終わったな”とも思いましたよ。ただ、みんなでロッカーに集まった時に「あんなこと言われたら腹立っただろ? みんなで優勝しようや」と話したんです。「優勝したら、みんなで監督を胴上げする。その時に3回胴上げして、4回目は手を離そう」。それが私たちの合言葉でした。

二宮: アハハハ。反発心をバネにしたわけですね。
田淵: そうですね。リーグ優勝が決まって、監督を胴上げする時に東尾が「ぶっさん、胴上げするだろ? あの約束、本当だろうな」って言うんです。「ちょっと待て。優勝までさせてくれたじゃないか。これで給料も増えるだろうし、日本一になったら、もっと増えるだろう。優勝旅行で海外にも行けるじゃないか」と制したんですよ(笑)。

二宮: 東尾さんは落とす気満々だったんですね(笑)。
田淵: 日本一となり、次の年には監督が「全国区になるには巨人を倒せ」と号令を出しました。この年はぶっち切りでパ・リーグを制し、続く日本シリーズでも巨人を倒して連覇した。すると、東尾はまた「ついに来たな。巨人倒したじゃねぇか」と耳打ちしてくる(苦笑)。「ちょっと待て。こんな優勝させてくれる監督にオレたちは感謝しないといけないんじゃないか」と返したら、東尾は「裏切りもの」って怒っていましたね(笑)。2年連続で日本一の経験がなければ、こういう場所でお話もできませんし、講演や解説で偉そうなことも言えない。厳しい監督でしたが、今となっては感謝しています。