「認知症とは、社会脳が壊れる病気である」いかに食い止めるか?

『社会脳からみた認知症』前書き公開!
伊古田 俊夫 プロフィール

 ―人の気持ちを理解する

 ―人の心の痛みをわが痛みとする

 ―自分のいたらなさを反省する

 認知症を患うと、このような心の大切な働きが少しずつ失われていきます。まわりの人たちの気持ちを理解する力が衰え、ちょっとしたことで怒り出して暴言を吐くことがあります。極端な場合には、目の前にいる人を堂々と無視して立ち去ってしまう、直前まで語り合っていた相手を突然、無視してソッポを向いてしまうといった症状もあり、家族や親しい人に衝撃や苦しみを与えます。

 認知症の人に生じる「心の変化」は、記憶の障害や知的能力の低下だけでは説明しきれません。他人の気持ちを理解し、周囲の人とうまく生活していく「社会的な能力の低下」としてとらえなければ、十分にその原因を究明することはできないのです。

 人の心の社会との関わり、社会的な行動を脳機能として解明する学問、それが「社会脳科学(社会神経科学)」です。社会脳科学によって、私たちは認知症をより深く理解することができます。実際に介護にあたられているご家族のみなさん、あるいは介護福祉士や介護職に就かれている方々にとっては、患者さんの「心の変化」に起因する苦悩を大幅に軽減させることができるでしょう。

 社会脳科学は、「社会脳」という脳の新たな姿を提唱しています。社会脳とは、社会生活を適切に行うために必要な脳の働き、それを中心的に担う脳の領域の名称です。近年の画像検査を用いた研究によって社会脳の解剖学的構造が解明されつつあり、社会脳科学は一気に注目を集めるようになりました。

 明らかになってきた社会脳の解剖マップを初めて見たとき、私はとても驚きました。社会脳と称される脳の領域が、認知症において侵される脳の領域とほぼ重なっていたからです。

「認知症とは、社会脳が壊れる病気である」―そう考えるようになりました。同じころ、山口晴保教授(群馬大学)が編著書『認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント(第2版)』(協同医書出版社、二〇一〇年)の中で「社会脳の障害が記憶障害などとともに現れた状態が認知症である」と書かれていることを知り、意を強くしました。

 私は、二〇一二年に『脳からみた認知症』(講談社ブルーバックス)を刊行し、脳機能からみた認知症の体系的な解説を行いました。その中で、認知症の理解に重要な、今後注目すべき理論として社会脳理論を紹介しています。

 二〇一三年五月、米国精神医学会は認知症の診断基準を改訂し、「社会的認知の障害」(他人の心や気持ちを理解することを「社会的認知」と呼び、社会脳の基本的な働きの一つ)を認知症の診断根拠の一つとすることを決めました。これは、社会脳理論が認知症診断学の中に正式に取り入れられたことを示すものです。

 この新しい動向をふまえ、本書では、社会脳の視点から認知症の症状全体を改めてとらえ直し、認知症の人の行動と心理を社会脳科学の立場から解説していきます。米国精神医学会の新しい診断基準の普及とともに、社会脳科学関連の書籍への需要が増加していくものと思いますが、本書がその先駆けとして読者のみなさんのお役に立てば幸いです。

 社会脳と聞くと難しいものと思われそうですが、介護にあたるご家族や介護職にある方々に、ぜひともこの考え方を知っていただきたいと思っています。前記のように、認知症の人の心に生じる変化をより深く理解することで、介護に際しての心理的負担や苦悩からずいぶん解放されると考えられるからです。

 また、若い年代=現役世代で発症し、社会との関わりが深い時期に症状が深まっていく「若年性認知症」(六四歳以下で発症した認知症)を理解するにあたっても、社会脳科学の視点が重要になってきます。社会脳の働きの低下は、社会生活の破綻を来しやすく、若年性認知症の患者さんやその家族の方々が直面するさまざまな問題と密接に関わっているからです。

 また、社会脳の働きが低下したときにどのような症状が現れるかを知っておくことで、認知症の早期発見につながる可能性があります。若年性認知症に関心がある方には、特にお読みいただきたいと思っています。