[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
田淵幸一さん(野球解説者)<前編>「江夏に鍛えられたキャッチング」

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巨人志望からミスタータイガース

二宮: 大学4年間で当時の東京六大学記録22本塁打を放った田淵さんは、鳴り物入りで阪神に入団しました。その後の活躍からミスタータイガースと呼ばれましたが、本当は巨人に入りたかったとか。
田淵: ええ。実はそれなりに巨人から約束されていたと思っていました。川上哲治監督から「背番号は2番を用意するからな」とまで言われた。王(貞治)さんが1、長嶋(茂雄)さんが3。そこに私が入れば1、2、3と並ぶ。それはもう胸がときめきましたよ。今だったら1位指名が重複すれば、抽選になりますが、当時は完全ウェーバー方式だったんです。指名順は巨人が8番目。結局、3番目の阪神が私を先に指名したんです。

二宮: 指名を拒否して1年浪人するという選択肢は?
田淵: そういう時代じゃなかったですからね。1年待つためのバックアップもないし、待ったからといって逆指名できるわけでもない。社会人野球も考えたけど、2年は長かったので、きっぱりと巨人入りは諦めました。当時、親父は毎日新聞で働いていて、後々、部下の方から聞いたんですが、「もし君が阪神じゃなくて巨人に入っていたら、お父さんはそこで辞表を持って毎日新聞を辞めていた」と。毎日と読売はライバル会社ですからね。そういう経緯を聞いたので、すんなり入って良かったなとも思いますね。

二宮: 田淵さんは東京生まれの東京育ち。初めての大阪暮らしの不安は?
田淵: そりゃ、ありましたよ。阪神のチームカラーも知りませんでしたし、選手も江夏豊、村山(実)さんぐらいしか存知上げなかった。ファンの気質もわからなかったんです。甲子園での練習後、合宿所の虎風荘まで普通なら歩いて3分。ところが、30分もかかるわけですよ。

二宮: 人気球団だけにファンの数も想像以上だったんでしょうね。
田淵: サインをしていると、着ていたコートがマジックのインクだらけになる。すごく熱狂的なファンが多いんだなと感じましたね。試合でサヨナラホームランを打てば、土下座して待っている人もいた。大漁旗を振っている人もいましたよ(笑)。