『マッサン』人気を引っ張るのはこの男 堤真一が演じる「鴨居の大将」本物はもっと豪快だった! サントリー創業者・鳥井信治郎

週刊現代 プロフィール

サントリーの由来については、単純に「鳥井さん」を逆さまにしただけと巷間信じられているが、それは間違い。鳥井は、赤玉ポートワインが世間で売れたことへの感謝の気持ちを忘れないようにと、社名に掲げたわけだ。

その赤玉ポートワインで酒造メーカーとしての基盤を築いた鳥井信治郎だったが、寿屋が個人商店から株式会社になっても、従業員には決して「社長」と呼ばせなかった。

「社長と呼ばれるのは、三井、三菱、住友ぐらいの大会社で、うちぐらいの小会社で社長と呼ばれるのは、おこがましい」

というのがその理由。従業員には「大将」と呼ぶよう社内にお触れを出して徹底させたとか。ドラマで鴨居が「大将」と呼ばれているのは、こうした事実に基づいている。

大正7(1918)年、鳥井信治郎は取引先の摂津酒造(ドラマでは「住吉酒造」)の若い技師がイギリスへ旅立つと聞き、神戸港まで見送りに行っている。その技師が竹鶴政孝で、ウイスキーづくりを学ぶための英国留学だった。早くに出逢っていた二人だが、以後、しばらく没交渉が続く。

再会は大正12年のこと。国産ウイスキーの製造に乗り出そうと考えた鳥井は、イギリス人醸造技師を招聘しようとしたが不首尾に終わり、代わりに紹介されたのが竹鶴政孝だった。

竹鶴はイギリスでウイスキーづくりを学び、帰国してウイスキーの研究を進めていた。

しかし、カネがかかりすぎるという理由から、摂津酒造は役員会で竹鶴の計画を否認、ウイスキー製造を中止する。失意のうちに、やむなく中学校の化学教師になった竹鶴を、鳥井は年俸4000円で雇い入れた。1000円あれば、家が一軒建った時代の話だ。

100年前に「ハイボール」

寿屋の従業員たちは、こぞってウイスキーづくりに反対したという。ウイスキー製造には蒸留用の釜を一から鋳造し、蒸留所を建設するところから始めなければならない。その味も多くの日本人にとっては未知のものである。むしろ、日本人の舌には合わないと言われていた。すでに大人気を博している赤玉ポートワインを売っていれば、会社は安泰ではないか、と。

しかし、鳥井はそんな従業員の反対を押し切って断行した。

「そう言わずに、やってみなはれ!」

『マッサン』のウイスキー考証を担当するスコッチ文化研究所代表の土屋守氏が解説する。

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