徹底取材「幻の1号患者」で明らかになったこれが現実!殺人・エボラ大流行日本は絶対に防げない

週刊現代 プロフィール

ことを意味するのだ。

対策は性善説だのみ

いったい、何のためのBSL4設備なのか。

そもそも周辺住民が稼働に反対するという、この国立感染症研究所村山庁舎とは、どのような場所なのか。

本誌が現地を訪れてみると、そこは畑と住宅地が入りまじる、どこにでもあるような郊外の町だった。

そのなかで、村山庁舎の周辺には、東京経済大学、国立病院機構村山医療センター、武蔵村山市民総合センターなど、大規模な公共施設などが並んでいる。

そして驚くべきことに、村山庁舎の真裏には武蔵村山市立雷塚小学校、真横には都立村山特別支援学校が置かれ、さらにその隣は東京小児療育病院がある。幼い子供たちが集まる施設が、殺人ウイルスの研究所を取り囲んでいる状態だ。

こんな事態になってしまった経緯を、戦時中から周辺に住んでいるという83歳の女性は、畑の端に座ってこう話してくれた。

「昔、あそこには陸軍病院と陸軍の航空整備学校があって、あとは畑ばかりだった。戦後は結核の療養所になったけど、要するに何にもない場所でしたよ。

だから、最初にそんな研究所を作ろうと計画した頃には、周りの住民のことなんか気にしなくていいと思ったんじゃないのかねぇ」

感染症研究所が、村山陸軍病院の後身である結核療養所の敷地に村山庁舎を設置したのは、'61年。'58年にポリオの大流行が発生し、ワクチンの検定を行う部門を置くためだった。その後、'63年にウイルス検査部門が追加されている。

当時ここがどんな場所だったのかを、国土地理院が公開している'61年の航空写真を確認すると、周囲は見渡す限り畑ばかりで、人家はほとんど建っていない。

ところが'65年になると、近隣の様子は一変する。

「それは大きな都営の村山団地が研究所の隣にできたのよ。子供も増えて、あちこちに小学校が建った」(前出の近隣住民女性)

村山団地は総計100棟を超える大規模団地だ。その開発と並行して、周辺の宅地開発も進んでいった。

'67年、感染症研究所村山庁舎の真横に、武蔵村山市立第五小学校(現在の雷塚小学校)が設立される。

'81年、村山庁舎にBSL4の検体を扱う施設が完成する。だが、すでに住宅街になりつつあった地域では激しい反対運動が勃発。研究所側は地元選出の議員に国会で反対の質問を出されるなど、追い詰められた。