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私たちがデジタルの「影」にすり潰されないために考えるべきこと

可能性に満ちたものほど厄介だ

先進的技術、機械や機器、コンピュータ、インターネット、データ。「デジタル」は元来の概念から多様化し、人間との関係性を深め続けている。

デジタルは人間に多くの恩恵を与え、利便性にあふれた未来の社会づくりには欠かせないものとなった。人間がデジタルに依存する度合いは高まり、デジタルはそれに応えるかのようにその能力を向上させ、さらに人間の依存心を強めていく。

 

デジタルテクノロジーがこれから起こす革新は、かつての産業革命における技術革新とは次元が違う。人間よりもはるかに優れた知能や機能を保有した人工知能やロボットが世の中を席巻し、やがて人間の補助役には納まらなくなる。

とかく、可能性に満ちたものほど厄介だ。可能性が放つ光に目を奪われ、それが併せ持つ影、光の中に潜む負の部分は案外直視しきれない。しているつもりでも、光がもたらす熱狂にのまれてついつい受け流しがちになる。検索エンジンは楽になる道具に過ぎず、知識化や思考する時間は減っていると漏らす学生のエピソードや、高性能化した人工知能やロボットが人間の仕事や様々な社会活動を代わりに担うようになるという予測を前にし、このままでは人間の役割どころか存在意義までもが奪われかねないという危惧、すなわち影の存在を僕は消し去れないでいる。

いまこそデジタルがつくる様々な光と影を捉え、最終的に光が影で覆い尽くされないために必要なことを突き詰めたいと考え、『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)を上梓することになった。

デジタルに人間を奪われないためのひとつのヒントがある。

国際的な学習到達度テストでいつも上位に名を連ねている国のひとつ、フィンランドの教育がそれだ。最近は、上海、シンガポール、香港、台湾などの台頭や経済環境を不安視されることもあるフィンランドだが、依然として同国の教育スタイルは示唆が多いと捉えている。他国と比較しても授業時間は少なく、基礎教育課程においては全国共通の学力テストもない。それにもかかわらず、同国の子供たちの学力は総じて高い。