2014.11.04

オックスフォードで学んだ、アニメまでアカデミックに議論する「思考の作法」

オックスブリッジの学部教育
オックスブリッジ卒業生100人委員会

"Hard work does overcome bad luck":悪運は力ずくで超えられる

オックスフォードでは化学を専攻する学部四年生は修士課程にあたり、研究室配属になります。大学側も、第一線で研究活動に専念する4年目をカリキュラムの特長だとして前面に出しています。私は無機化学研究所の表面化学の研究室に配属が決まりました。

配属初日は参考文献として論文の束を渡されました。学術論文では、緒論で様々な文献を引用して現状認識を行い、これまでの研究の不十分な点を指摘したりして課題提起をします。そして調査・実験結果を交えながら新たな主張をします。言葉では知っていましたが、現物を読んでも頭に入らず無力感を感じました。それまでは「知ったではなく、理解できた」、「ストーリーがつながった」などと喜んでいましたが、実際に研究活動の場に立ってみると何もできなかったのです。

1年目に訳の分からないままがむしゃらに課題に取り組んでいたように、4年目もまずはがむしゃらに実験に取り組みました。目の前の実験を繰り返すだけで良いのかと何度も不安に思いました。先輩からも教授からも、「誰でもまともに研究を理解するのは年が明けて卒論を書き始めてからだ」と言われました。研究を十分に理解しないまま卒論を書き始める、という意味でしょうか。私はその言葉を聞いて余計に不安になりました。そんな中、研究室の博士課程の先輩に言われた、「"Hard work does overcome bad luck(悪運は力ずくで超えられる)"」という言葉に励まされ、日々の研究を続けていました。

年が明けると、卒論を書きながら実験もするようになりました。あまりスマートではない段取りですが不思議なことに、過去3年間に理解した(つもりだった)ことを研究活動で使っている自分に気付きました。卒論を書き始めてから気付くとは、遅きに失したと思いましたが。そして、研究室の他の人の研究も理解できるようになり、研究論文も頭に入るようになっていました。この気付きには、"ハッとする瞬間"も爽快な達成感も無く、これが「実践力」だとしたら、それはとても地道で泥臭いものでした。しかしそれでも、卒論は無機化学科で2位となりました。

後輩の試験終了をドライアイスの煙幕で祝う

卒業後・昼寝前の回想

2006年の卒業直後の夏、私は実家の床で仰向けに寝そべり、ぼんやりと天井を眺めながら空っぽな気持ちで学部の4年間を回想していました。

まず、「高等教育はコンテンツではなく思考の方法論だ」という冒頭でも述べた父の言葉を思い出しました。確かにオックスフォードでの「勉強」は、高校のものとは明らかに違っていました。大学の試験では公式や単純知識ではなく、その使い方が問われ、授業では高校で定番だった反復演習もありませんでした。

大学卒業を間近に控えた私は、「大学で学問を修めたのだ」と胸を張って言いたいところでしたが、果たしてこれは正しいのか、整理がついていませんでした。ここで、私は大学で学問を修めたのだと仮定します。しかしこれはオックスフォードに限らず、日本を含む、他国の大学生も同じく目指すところです。ならばオックスフォードのどこが特別なのかという問いが生まれます。それ以前に、そもそも学問という名の「思考の方法論」はキャリアや人生に役に立つのかという問いもあります。考えることが余計に増えた、そう思ったところで私は目を閉じました。

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                                                    オックスブリッジ100人委員会より

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