2011年3月、東日本大震災が起こった時は、ベルリンの自宅にいた。
まずラジオのニュース、そして隣の人の声、そしてインターネット、そして新聞というように情報がどんどん覆い被さってきたような気がする。友人から「休暇で北海の島に来ているのだけれど、ずっとテレビの前にすわったきり。散歩に出て新鮮な空気を吸いたいのに、恐ろしい津波の映像に縛られて動けません」というメールが来た。
わたしはその津波の映像は見たくないな、と思った。数週間後に見るならいいけれど、世の中がその映像にのまれている間は見たくないなと思った。幸いテレビは持っていない。
さて、「メルトダウン」という言葉がマスコミにちらほら現れ始めると、まわりのドイツ人たちの質問の礫がいっせいに飛んできた。これは、わたしだけでなく、ドイツに住む多くの日本人が体験したことだと思う。「どうして逃げないのか」なぜ海外に逃げないのか。
わたしには、原発の近くに住む人たちが、たとえ受け入れてくれる家があるからといって、すぐにドイツに引っ越してくるとは思えなかったが、なぜそうなのか、うまく説明できなかった。海外生活の不安や苦労なんて、放射能を浴びる恐ろしさと比べれば何でもないだろう、とドイツ人に言われると、確かにそれはそうだと思ってしまう。
ところが、インターネットで日本語の書き込みをみていると、もっと違和感を覚えさせられる反応が現れ始めた。福島付近(東京もその中に入るが)から避難した家族を攻撃する書き込みだ。小さい子供がいるから京都に引っ越したという家族を罵倒するなんて、一体どういう心理なんだろう。
確かに、すぐに引っ越せるだけの経済力がない人もいるかもしれない。でももし経済格差に腹を立てるなら、なぜ恐ろしく会費の高いゴルフ場でゴルフしている人への罵倒の言葉がネットに見あたらないのだろう。なぜ放射能から子供を守るというまともなお金の使い方をした人が、じめじめと暗い悪口を言われなければならないのだろう。
「自分だけ逃げるのは卑怯」というセリフが一人歩きしていた。その場に残って他の人を助けられるなら残る意味はあるが、何もできないならば、逃げられる人から逃げた方がいいのではないのか。この問題にはずいぶん悩まされた。そんな中、2011年の夏に書いたのが、「不死の島」だった。
ゲイシャ・フジヤマのフジは「富士」だけれど、太平洋の隅っこで大陸に身を寄せる美しい列島が「不治」ではなく「無事」であることを願い、できれば「不死」であってほしいとさえ思いながら書いた。ニッポンを人が住めない汚染された場所にしてしまおうとしている集団が存在しているような気がしてきて、むしょうに腹がたった。
この集団は、総理大臣も天皇も歯がたたない強力な陰の集団で、一般人の目に見えないところでずっと活動を続けてきた。世の中を好きなように動かせるだけの金と権力を手にいれなければ気がすまず、人が癌になったり、痛みに悶えたり、命を落としたりするのを見ても同情心を全く感じないだけでなく、むしろ喜びを感じるような、病的で危険な犯罪者たちの集団である。
翌年の暮れ、Dさんという名のロンドンに住むフランス人の女性がベルリンのわたしの自宅を訪ねてきた。まだ美大を卒業して間もない若い人だが、すでに2回、福島に数週間ずつ滞在したということで、撮ってきた写真を見せてくれた。それはカタストローフェを写したセンセーショナルな写真ではなく、未解決の問題を抱えながら生活している個々の人間の顔や、思い出のしみついたまま変貌した様々な場所の写真だった。Dさんは、この先10年の福島を撮りたいのだと言う。
2013年夏、Dさんがいわき市に住むTさんを紹介してくれて、その方の案内で、いわき市中央台の仮設で生活する方々と会うことができた。それから、いわき市の薄磯地区、富岡町上手岡、富岡町夜の森、楢葉町山田岡地区などをまわり、浪江町から避難している方々のお話も聞いた。喜多方に避難しているTさんの叔父さんを訪ねた帰りに三春にも寄った。三泊四日の短い滞在だったが、わたしはたくさんの方々から貴重なお話を聞かせていただき、感謝の念でいっぱいだった。
短編「不死の島」を展開させて長編小説を書くつもりだったわたしは、この旅をきっかけに立ち位置が少し変わり、その結果、『献灯使』という自分でも意外な作品ができあがった。
(たわだ・ようこ 小説家、詩人)
読書人の雑誌「本」2014年11月号より
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多和田葉子・著
『献灯使』
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