[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
掛布雅之(野球解説者)<後編>「人知れず苦しんだ“阪神の4番”」

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阪神の4番に課せられた使命

二宮: さて、掛布さんの現役時代のお話もうかがいたいのですが、掛布さんと言えば、やはりホームラン。初めてホームラン王に輝いたのが、6年目の1979年でした。
掛布: 正直、僕は自分が40を超えるホームランを打てるとは思っていなかったんです。体が小さかったですし、しかも甲子園の浜風は左打者には不利ですからね。だから、その年の9月、広島戦で福士明夫さんから左中間に40本目のホームランを打った時には、驚きましたね。ダイヤモンドを一周して、ベンチに戻ってきたら、手と足がブルブル震えていたんです。初めてホームラン王を意識したのは、その時です。

二宮: 前年、ホームラン王を獲得していた広島の山本浩二さんが、2年連続を狙って猛追するかたちでしたね。
掛布: 僕が神宮で4本打って44本にした時、広島の方から「もう、浩二は白旗を揚げたよ」と言われました。ちょうどその頃、僕は広島市民球場でバックスクリーン直撃のホームランを打ったんです。センターを守っていたのは浩二さんでした。その翌日、広島の衣笠祥雄さんが「カケ、昨日のホームランはすごかったなぁ。あれで今年はオマエが勝ったな」って言ったんです。

二宮: 最終的には、掛布さんの48本に対して、山本浩二さんは42本。掛布さんは6本もの差をつけて、浩二さんとのホームラン王争いを制しました。
掛布: でも翌年は一転、苦しいシーズンでした。4月、後楽園球場での巨人戦で左ヒザを故障。セカンドベースを蹴る際に、スパイクが人工芝にひっかかって、半月板を損傷したんです。

二宮: ヒザの故障はスラッガーにとっては致命的だと言われますが、それでも翌81年には、キャリアハイとなる打率3割4分1厘をマーク。出塁率は4割4分3厘とリーグトップでした。さすがだな、と思いましたね。
掛布: でも、ファンは納得しなかった。この年、僕はホームランンを捨てていました。長打を打たなくていいなら、体の使い方を小さくできるので楽なんです。その結果が3割4分1厘という打率でした。僕自身、「これが自分に一番素直な野球の姿なのかもしれない」と思ったんです。とにかく調子が良くて、全試合でヒットを意識していたくらいでしたから。

二宮: それまで意外にも掛布さんは全試合出場したシーズンはなかった。
掛布: そうなんです。この小さな体でボールを飛ばそうとすると、どうしても無理をしてしまう。試合を休んだことで、マスコミやファンの期待に応えられなかったこともありました。それで、全試合に出場することで、自分の姿をマスコミやファンにさらけ出そうと思ったんです。

二宮: 3割4分1厘という高打率の裏には、掛布さんの思いが詰まっていたんですね。
掛布: ところが、マスコミもファンも僕の最高打率にはあまり喜んでくれませんでした。

二宮: それはなぜでしょう?
掛布: やはり阪神の4番に期待するのは、ホームランなんですね。だから最高打率を称賛する声よりも、「なぜ23本しかホームランを打てなかったのか?」という声の方が多かった。これは予想外の反応でしたね。

二宮: せっかくの成績がファンに認めてもらえないとは、辛いものがありますね。
掛布: えぇ。ただね、その時に阪神の4番としての使命というものがわかったんです。もちろんチームの勝利が大前提ではありますが、当時の阪神は決して強くはなかった。だから、たとえ負け試合でもお客さんに満足して帰ってもらうためには、ヒットではなく、ホームランが必要だと。実際、ファンの人から「チームは負けたけど、掛布のホームランが見られたから来て良かった」という声もたくさんいただいたんです。