石川次郎 第2回 「若き日の横尾忠則による傑作『浅丘ルリ子裸体姿之圖』誕生秘話」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ 横尾さんはものすごく繊細な人で、編集者を信用しないと「○○さん」と呼び、こころを許すと「○○くん」と呼ぶんだよね。

石川 そうだね。ほくは結構早い段階から「次郎くん」と呼ばれていたような気がするね。椎根も今野も「くん」で呼ばれていたな。

そうだ、思い出した。ぼくが「ブルータス」の編集長のとき、突然、横尾さんの成城の自宅に呼ばれた。なんだろうと思ったら「ぼくはイラストレーターもグラフィックデザイナーも廃業して、これからは画家になる」と宣言されたんだ。その直後に横尾さんへのささやかな応援歌として「ブルータスの現代美術特集」を組んだ。本人にはいわなかったけど、気持ちは「横尾忠則に捧ぐ」ってところだったね。

セオ いまでは立派な画伯ですよね。

シマジ おれが『うろつき夜太』でホテルにシバレン先生と横尾さんを缶詰にしていたときも、日本画の筆法を習いたいから岩田専太郎さんを紹介してくれないかと頼まれたことがあったよ。

それで岩田先生とシバレン先生、横尾さん、おれの4人で会ったんだけど、横尾さんは岩田先生に会うなり、「日本画を習いたいんで弟子にしていただけませんか」というんだ。岩田先生は「あなたがわたしの弟子になる必要はないでしょう」と笑っていたけどね。

セオ ダイナミックな時代ですね。

シマジ そういえば、そのとき岩田先生がおれの顔をみて、「あなたはいくつなの?」と訊いた。「28歳です」と答えたら、「いいなあ、ぼくがいま28歳だったら、締め切りを破って女と遊びまくるね」といっていたよ。

立木 その若者もいまや73歳になってしまった。ああ、やだやだ。

シマジ そういうタッチャンだって同じようなものじゃないの。

石川 立木さんはいまでも颯爽としていますが、じつはぼくがまだ旅行会社にいたころ、香港ロケに行く立木さんを羽田に見送りにいったことがあったんですよ。「平凡パンチ」の海外取材のコーディネイトをしていたんですが、立木さんは赤いポロシャツにジーパン、素足に靴を履いていた。カッコいい人だと思いましたね。そのときのアシスタントが長濱治でした。