【WORLD REPORT】
未来を明るく照らす「8つのプロジェクト」
日本の「匠の技」が、世界を笑顔にする!

国際協力の最前線で広がる日本ならではの技術が、世界と日本の明日を変えていく。

なぜ日本の国債貢献は「オンリーワン」なのか

【INTERVIEW】大野 泉/政策研究大学院大学教授

 日本の援助は、世界の中でもとてもユニークです。それには戦後復興の過程で、援助を受けながら、開発途上国への支援を始めたことが関係しています。

 日本がODA(政府開発援助)を開始したのは1954年。今年でちょうど60周年を迎えます。旧植民地を含むアジアの開発途上国の発展を支援するために設立した国際機関、コロンボ・プランに加盟したことがきっかけでした。

 当時、日本は戦争で疲弊した経済を立て直し、再び国際社会への仲間入りをすることを最大の目標にしていました。国際的な信頼を回復するため、初期のODAはアジア諸国への戦後賠償とともに行われています。そしてなんと、その当時はまだ日本は被援助国でもありました。米国や世界銀行から受けた資金援助で東海道新幹線や東名高速道路など、経済発展に必要なインフラを建設。また、先進国の優れた技術も、ここから学んでいきました。

 60年代から70 年代にかけて、日本の支援はアジアのインフラ整備が中心になります。橋や道路を建設しながら現地の人に知識や技術を教え、支援が終わった後も自分たちで運営・管理ができるように人材を育てました。その結果、相手国の経済の基盤を作ると同時に、日本企業が投資や貿易を行うための現地の環境も整うという相乗効果が生まれたのです。

 海外からの援助をうまく活用して自国の復興や発展を成しとげたことで、「経済的自立と、自助努力を重視する」という日本の援助の理念が育っていきました。この視点は、援助を旧植民地に対する「慈善事業」として、人道支援に重点を置く欧米諸国にはないものです。その後、高度成長を遂げて先進国になった日本は、70年代から80年代にかけてODAを拡大。89年に日本のODA供出額は世界でトップになりますが、その後、経済の低迷をきっかけに、97年以降のODA予算は減少傾向にあります。

 そんななか、いま、国際貢献に新しい流れが生まれています。ODAを活用した支援によって、現地社会に貢献をしながらビジネスをする日本企業が増えているのです。この背景には、国内市場が飽和した一方で、日本が長年支援してきたアジアの新興国がビジネスの場としての魅力を高めてきたことがあります。

 今後はこうした官民の連携によって、雇用の拡大や技術の移転が進み、現地の貧困が軽減され、経済が活性化されることが期待されています。加えて日本には、自らの急速な経済発展の過程で公害などの都市化に伴う問題を克服してきた経験があります。また、日本の支援を通じて育った海外人材や組織のネットワークも持っています。こうした強みを活用すれば、今後も日本ならではの、評価の高い国際貢献ができます。

 日本のODAは、自らの「国造り」の歩みを投影した世界に類を見ないものなのです。「日本だって不景気なのに、なぜ他の国を助けるのか」という声も聞かれます。しかし、日本は途上国への援助を通して、その「生きざま」を世界に発信してきたのです。60年間で培った「財産」を生かし、国際貢献を続けることこそ、日本の姿を世界に伝え、国際社会で地位を確立するための大きな一助になりえるのです。


提供: 外務省 www.mofa.go.jp/mofaj/

 

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