第96回 谷崎潤一郎(その一) 引っ越しのたびに家具を買い替えた---日本を代表する文豪を今東光が振り返る

青年は、「ははあ・・・・・・」と泣きそうな声を出すと、そのまま砂浜に座り込んでしまった。しばらくして悄然と立ち上がると、言った。

「僕は、この足で東京に帰ります」

そりゃ、谷崎も喜ぶだろう、と親切のつもりで、東光は云った。
「どうして彼は帰ったのかい?」と谷崎に聞かれて、東光は云わざるをえなかった。

「だって、どうせ彼奴の小説なんて見てやらないんでしょう。だから無駄だと教えてやったんです」

「無給の助手」として谷崎から知的滋養を得た

怒るのかと思った谷崎は、東光を振り向きもせず、云った。

「そいつはよかった」

実際谷崎は、他の作家のように、若い作家を引き立てたり、育てようとはしなかった。

たとえば川端康成は、地方の零細な同人誌に掲載された作品を見逃さなかった。
川端の熱意で救われた作家は沢山いた。
その典型が、北条民雄の『いのちの初夜』の出版に奔走した一件である。
当時の強い差別感情、医学的知識の不足により、社会的に著しく不利な情勢におかれていたハンセン氏病患者の、実態を知らしめただけでも、大きな仕事を成し遂げた、と云ってもいいだろう。

大正活動写真の若い俳優たちは、谷崎に甘ったれすぎている、と今東光は感じていた。

谷崎の義妹の勢以子が葉山三千子という芸名で女優になっていて、俳優たちは三千子を中心にして遊び廻っていたのである。
東光は、目に余る連中のなかで、幾人かに注目していた。

今東光と谷崎1918年に出会って以来、 東光(左)は谷崎を生涯の師と仰いだ。1930年に東光は出家、'68年には参議院議員となる

巨軀で、カメラマンがもてあます大きな三脚を軽々と抱えてしまう内田吐夢、美男の高橋英一(後の岡田時彦)、何度も刑務所にはいっていた江川宇礼雄・・・・・・彼らは後年、それぞれに名を上げた。

「君は活動写真が嫌いなのかね」

あるとき、やや不機嫌気味に、谷崎が今東光に尋ねた。俳優たちに厳しい、東光は映画が嫌いなのだと思ったのだろう。

「嫌いじゃありませんよ」

「初めて観たのはなんだい?」

「そりゃあ、『ジゴマ』ですよ」

母親に内緒で先輩に連れられて、神戸の湊川で見たのだ。
『ジゴマ』は、いわゆる怪盗ものの嚆矢であった。

「俺も『ジゴマ』は、何回も観たな」と、谷崎は嬉しそうに言った。

人形町界隈を遊び場に育った谷崎は、少年時代、親友におごられて、何度も『ジゴマ』を観たという。

原作者の名やその制作会社まで、ちゃんと記憶していた。
少年の頃から、すでに谷崎は映画に魅せられていたのである。

今東光の役割は、客観的に見ると、無給の助手のようなものだった。
東光としては、博覧強記の谷崎の側にいるだけで、知的滋養が得られるのは確かだった。
しかし、谷崎が、自分をどの程度買ってくれているのか、東光はよく解らなかった。

『週刊現代』2014年10月18日号より

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