マシアスは、セントメリーの最後の二シーズンの間、ベーブがなるべく野球ができるように心がけてくれた。
しかし彼は、遊びの時間と仕事時間の区別をよく心得ていた。
ベーブは、球場に行くために授業をサボることは出来なかったし、裁縫工場でやるべき仕事を後回しにすることはできなかった。
仕立屋は、ベーブの本職であり、二十一歳になればセントメリーを出ていかなければならなかった。
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だが、結局、野球が勝利した。
球界の名物男だったジャック・ダンは、ベーブに興味津々だった。
ダンは、率直に話をもちかけた。
「君の事はよく知っている。どうだい、オリオールズと契約するつもりはないかい?」
「ぼくに給料をくれると云うんですか・・・・・・」
ベーブは息を弾ませた。
そうだよ、とダンは云った。
まず、年俸六百ドルからはじめようじゃないか・・・・・・。
ベーブは、彼らが話していることが、まったく理解できなかった。
「そうだよベーブ、六百ドルからはじめようじゃないか。君が立派な成績をのこしたら、もっと沢山かせげるよ」
後年、ベーブは、ニューヨーク・ヤンキースと年八万ドルで契約を結んで球界の度胆をぬいたが、セントメリーでの六百ドルが世界中の富の全部であるかのように興奮した。
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セントメリーを去った日、ベーブは停車場から馬車に乗った。
停車場のホームには、ほかの選手たちもいた―お互いによく知り合っている連中で、自信たっぷりに話をしていた。
ベーブに関心をもつ選手は、いなかった。
そしてそれは、どうでもいい事だった。
肝心な事は、ベーブがボルチモアから離れると云う事だったのである。
汽車に乗るのも初めてだった。
列車は翌朝早くファイエットヴィルについたが、一九一四年のシーズンにオリオールズに土がついた。
ベーブという新米が投球する方の腕を過剰にかばったため逆に、痙攣を起こしたからだ、というのである。
『週刊現代』2014年10月4日号より