[裏方NAVI]
田村尚之(トレーナー)<後編>「平井門下生の活躍にトレーニングあり」

スポーツコミュニケーションズ

中村礼子をトップへ押し上げた“連動性”

 平井のもと、田村のトレーニング指導を受け、五輪の舞台で花を咲かせたのは北島だけではない。中村礼子、寺川綾もそうだ。アテネ、北京と2大会連続で、女子背泳ぎ200メートルで銅メダルを獲得した中村が、北島とともに平井の指導を受け始めたのは、2003年のシーズン後のことだった。翌年に控えたアテネ五輪の選考会を兼ねた日本選手権まで半年を切っていた。当時の中村の印象について、田村はこう語る。

「とにかく普通の女の子という感じでした。今も語り草となっていますが、JISS(国立科学トレーニングセンター)に入ってくる時も、受付の人に『一般の人はここには入れないですよ』と言われたくらいだったんです(笑)。そんな彼女が平井先生の指導を受けに来たのは03年の11月か12月の頃。それまでほとんどウエイトトレーニングはしていませんでしたから、他の選手同様、筋力が少なかったですね」

 そんな中村の最大の課題はスタートだった。その原因は筋力不足と、非効率な身体の動きにあった。トレーニングではスタートに必要な下半身のパワーを強化するため、スクワットやスナッチをメインとした。ところが、両足を折り曲げた状態から伸ばす際、ヒザと股関節が連動した動きをせず、ヒザはヒザ、股関節は股関節と、伸ばすタイミングがバラバラだったのだ。それでは下半身の力を効率よく発揮することはできない。つまり、「1」(ヒザ)と「1」(股関節)のものを、足して「2」の力にかえることができていなかったのだ。田村による細かい指導のもと、中村は徐々にヒザと股関節をうまく連動した動きを身に着け、加えて筋力やパワーも上げていった。

 中村に対し、田村が最も懸念していたのは、トレーニングによるデメリットが出ないかどうかだった。
「彼女も、当時の競泳選手としては例外にもれず、ほとんどウエイトトレーニングをしてきていませんでした。また、彼女の場合は全ての練習環境が変わったわけですから、緊張もある。そんな彼女に、しっかりと年月をかけて積み上げてきた康介と同じことはさせては、負担が大きすぎると思ったんです。もちろん、いい結果を生み出すかもしれない。でも下手したら、疲労が原因で、泳ぎ自体がグチャグチャになることもある。それだけは避けなければと思いました」

 そこで日本選手権までの期間も考慮し、平井との相談のうえ、田村は中村の課題だったスタートやターンにフォーカスすることにした。下半身の筋力を即効的に上げるのではなく、動きの効率性を高めることで、蹴る動作の改善に結びつけようと考えたのだ。それが功を奏した。実際、田村自身も「どこまでタイムが伸びるのかは未知数だった」が、100メートル、200メートルで2冠を達成し、アテネ五輪の切符をつかんだ日本選手権での泳ぎを分析した結果、彼女のタイムを伸ばしていたのは、スタートやターンだったのだ。
「レースを分析したところ、泳ぎ自体のスピードは変わっていないんです。何が良かったかというと、スタートやターン。バサロで15メートル付近で水上に上がってくるまでのタイムが縮まっていた。それが勝因となっていたんです」