女ゴコロが丸わかり!椰月美智子が描いたシビレル恋物語。切なくて、笑える――『恋愛小説』が文庫化

(注1)『恋愛小説』ハードカバー時の装丁

この『恋愛小説』、ハードカバー(注1)時も、今回の文庫化に際しても表紙には綺麗な花がフィーチャーされ、甘く切ない、正攻法の恋愛小説的なパッケージがなされているが、そんな王道のラブストーリーに身を任そう、と頁を繰る読者の全てに強烈な肘鉄を食らわせる、なんとも激烈な一冊なのである。

オープニングこそ、この物語の主役である美緒(みお)とサスケの美しい思い出を語るようなモノローグというセピアカラーがかったプロローグで始まり、「ああ、終わってしまった恋の美しさ」がこれから語られていくのだろうな、と思わせ、読者を切なくなる気満々にさせるが、「1.はじまりはじまり」を読み始めるといきなり3行目に「やらなければよかったな」という美緒の気持ちにぶつかる。

(注2)『スカー・フェイス『キャリー』『ミッション・イン・ポッシブル』などで知られるブライアン・デ・パルマ監督、オリバー・ストーン脚本という超豪華映画。アル・パチーノはキューバからボートピープルとしてアメリカにやってきた青年トニー役。暗黒街で次第にのしあがっていく様がとにかくすごい。

「ん? 何を『やらなければよかった』のかな、もしや・・・・・・」少し読み進むと今度はサスケの「ネコちゃんとやるんだったら」という心の声にぶつかる・・・・・・。うわ! 「やる」ってその「やる」か! しかもその直後に更に2回「やる」「やってしまった」ってあるよ! 始まって3頁で4回も「やる」って言ってるよ!

・・・・・・えーとそうなのです。この小説、「性行為」を表す意味での「やる」という言葉が恐らく史上一番使われている恋愛小説なのです。何だ何だ!? 劇中「FUCK!」を連発していた『スカーフェイス』のアル・パチーノ(注2)へのオマージュか? しかしあちらはギャング映画だ。甘やかであるべき恋愛小説がそんな映画にオマージュを捧げる訳もない(おっと脱線失礼)。

登場人物があけっぴろげに「やる」「やる」と言いまくるこの生々しさ、飾りっけのなさ。恋愛は「やる」事が全てではないがかなりの大きなウェイトを占めている、という著者の大胆且つ正直な主張が全編に漲っていて、恋愛小説に夢物語を求める者を引かせるに十分な破壊力に満ちているのです。

生々しさと共にある“大技の”バカバカしさ

そういった「生々しさ」と共にこの小説の特徴として是非上げておきたいのは、ある種の“バカバカしさ”が全編から感じられる、という事だ。二股を掛けていた事が恋人にばれ、平手打ちをかまされる美緒の身に起こる「メガネ右耳ぶらさがり事件」(注3)等、どシリアスな状況下では妙に可笑しな事が起きる、という「世の中、悲劇と喜劇は背中合わせだな」と感じさせる大技のバカバカしさも勿論面白いのだが、美緒の特技が本物そっくりに「○○(自粛)」を描き上げる(注4)という実にくだらない事であり、そこから生み出される、心の底からバカバカしいと言い切れるエピソードを読むにつれ、著者は心の底からフザけた人で、世の中の妙な事やおかしな事や下らない事が心の底から大好きでたまらないのだろうな(注5)、という確信に至る。

この小説、そんな小技の利いたバカバカしくて下らないエピソードに満ち満ちていて、読者は終始ニヤニヤ笑いをしながら恋の行方を追うはめになる。この感受性の豊かさや観察眼の鋭さこそが椰月さんの小説の味わいを更に深めるスパイスとなっているのだろう。

(注9)『しずかな日々』講談社文庫

そして今回再読してみて強烈に印象に残ったのは人間の内面に宿る悪意とその醜さ、おぞましさをとことん描き尽くしている、という点である。特にサスケがかつて、しおりといういとこと関係を持ったという事実に対する美緒の狂気とさえ言えるドス黒い情念は余りにも激しく過剰であり、小説全編を覆い尽くし、『恋愛小説』の恋愛小説たる所以である甘い部分を殆ど食いつくさんばかりだ。

サスケの伯父、タケちゃんと初めて出会った瞬時に美緒の胸に去来する思いなどはあまりにも強すぎ、ストレートすぎて怖い位だし、かつての会社の同僚田所益恵(注6)(通称ジェロさん 注6)の、何もそこまで、と言いたくなる程醜悪に描かれる容姿の描写や、サスケと関係した彼女に下す美緒の恐ろしく自分本位な鉄槌、更には、手術で片胸を失った女性に対する美緒の複雑な心情など、恋愛小説であるならば(いや普通の小説でさえ)避けて通ろうとする人間の蔭の部分を著者はとにかく徹底的に描き出している。

(注10)『るり姉』双葉文庫

偽善や欺瞞を許さず人間の真実に迫ろうとする著者の真摯なあがきが「恋愛小説」を小説としてより一層ぶっとくて実のあるものにしている。

そしてそういった人間の様々な行いや思いを、もう過ぎ去った事として、神の視点(注7)で俯瞰で語る著者の小説作法が本当に素晴らしい。これはちょっと例示出来ないので、実際に小説を読んで味わって欲しいが、「語った瞬間にそれは過去になる」というその語り口は「経験した瞬間からそれは過去になる」という「人生」に余りに似ている。そう、この小説は「恋愛」を描きつつも「人生」そのものを描いているのだ。