セオ 若いときから本物の音楽を聴いていれば、耳もたしかなものになるでしょうね。
篠崎 そうですね。ウィーンの聴衆は音楽をとてもよく知っていて一般のファンも批評家眼を持っています。聴き手が指揮者や演奏家を上手くし、下手にもするとよくいわれています。そういう聴衆は、日本にはまだまだ少ないのではないでしょうか。
ウィーンでは「ブラボー」も「ブー」もしょっちゅう聞きます。「ブラボー」と「ブー」は人によってさまざまで、聴き手が自由に判断して、客同士で「ブラボー」だ「ブー」だとケンカになることもあります。客同士が取っ組み合いのケンカになった場面をわたしは何度もみてきました。
シマジ マロさんの著書『ルフトパウゼ―ウィーンの風に吹かれて』を読むと、いい師匠に恵まれていますね。はじめにトーマス・クリスティアン先生、それからイヴリー・ギトリス先生。
篠崎 はい。はじめてギトリス先生にお会いしたのは、わたしが21歳のときで、先生は62か63歳でした。先生がスイスで講習会を開いていることを知り、受講しに行ったんです。
セオ シマジ語録でいうところの「じかあたり」ですね。
篠崎 はじめてギトリス先生の前でヴァイオリンを弾いたときは感動的でした。「あなたはいままで誰についたのですか?」と訊かれたので「トーマス・クリティアン先生です」と答えると、先生が「トーマスは元気ですか? トーマスとわたしは同じシューレでした」というではないですか。
なんと2人は同じ学校出身で、しかもパシコフという同じ先生のお弟子さんだったんです。そんな経緯でイヴリー・ギトリス先生のところに出入りするようになり、並行してトーマス・クリティアン先生にも師事していました。
シマジ 20代でその道の大家と親しく触れ合うことはその後の人生を大きく変えますよね。
篠崎 まったくその通りですね。吸収力が旺盛な若いときに強烈な"本物”と出会うと、その人のためならなんでもさせてもらいたいという気になるものです。ですからわたしはイヴリー先生の鞄持ちを喜んでやりましたし、灰皿やコーヒーを常に用意して、先生の行くところ行くところについて行っては、ほかの生徒に教えている授業のときでもずーっとそばでみていましたね。