寺尾紗穂 原発で働くということ
連載第1回 30年間の空白

寺尾 紗穂

前者はいわゆる「御用学者」と批判されてきた科学者たちのいくつかの鼎談によって構成されており、大まかにいえば「脱原発派」批判本といえる。全部で12人の科学者が参加しており、中にはその発言にやはり疑問を感じざるを得ない人物もいるが、編者の澤田の「反対意見を言う人にも心を寄せることがとても大切で、それがサイエンスなのではないだろうか」という問いかけは、確かに原発の是非を巡る二項対立を超える必要性を感じさせる。いつまで原発に頼るべきか、という点で12人それぞれいくらか意見の違いはありそうだが、とりあえず原発を再稼働させるべきという点で一致している。テーマごとに分かれている鼎談のため、定かではないが、原発輸出も参加者のほとんどが賛成しているのだろう。

一方、『日本はなぜ原発を輸出するのか』は、日本の原発輸出の歴史を、おもに米国の原子力をめぐる動静とともにひも解き、日本が原発輸出国としての地位を築く地ならしのために、すでに多額の公金がつぎこまれている実態を描いている。「原子力輸出は私たち一人一人に関わる問題」とする鈴木は、グリーンピースの核問題リサーチャーを務めた経歴も持ち、核エネルギー利用には否定的である。

これらはともに、原発をめぐる国の方針をどのようにしていくべきか、という問題を扱っている。原発というものが、どれだけ経済的に割の合うものか、あるいは合わないものか、あるいはどれだけ便利なものか、あるいはやっかいなものかについては、それぞれの本で確認することができる。

しかし、両者ともほとんど触れていない点がある。それは現場で働く人間が何を感じているか、実際の原発労働がどのようなものであるか、という視点である。たとえば、『原発とどう向き合うか』の中で、澤田哲生(原子核工学が専門)と岡本孝司(原子力安全工学が専門)はわずかに現場の労働に触れて次のような発言をしている。

 岡本 溜まり続けている汚染水を早く安全な水にすることは大事ですが、漏れているのは無視できるくらいの少量で、仮に1000トンが港湾に流れ出ても、三年前に汚染度が高い水が流れ込んだのに比べれば、1000分の1、1万分の1ほどの影響しかありません。ただ作業員の被曝には気をつけないといけません。
 澤田 汚染水に含まれるストロンチウムからはβ線が出て危険ですが、空間で5~10センチしか飛ばないので、少し離れていれば問題ない。

「作業員の被曝には気をつけないと」「少し離れていれば問題ない」というこの二人の学者に、現場のリアルがどこまで感じられているのだろう。

高線量の中、汚染処理をしていく最前線で「少し離れてい」ることなど果たしてできるのだろうか。現在の作業現場は「気をつけ」ること、すなわち労働者の身の安全が最優先され、教育や監督がきちんとゆきわたる場所なのだろうか。

学者だけでなく、多くの人がこの問いに答えることはできない。そこはあまりに明らかにされてこなかった部分だ。そして、これは現在の福島原発に限ったことでなく、3・11が起きるまで何となく必要、何となくクリーンと思われてきた原発についても全く同じである。

「平時の」原発労働についてもまた、多くの人が具体的な現場のイメージを持たないまま、そこで働く人の言葉に触れることのないまま、原発というものを何となく肯定してきた。3・11から3年半たった今、原発を再稼働するか、しないか、輸出するか、しないか、といった議論は、相変わらず現場とそこで働く人々とを無視する形で進められている。

2003年、山谷の夏祭り

「シンガーソングライターがなぜ原発労働者のことを? いったいどういうつながりがあるの?」

この連載を読む人が抱くもっともな疑問だろう。私は、エッセイストという兼業はあるけれど、基本的にはピアノ弾き語りの音楽家であって、長く反原発運動をやってきたわけでもないし、原発について勉強してきたわけでもない。そして私の原発と原発労働者への興味は2010年に始まったに過ぎない。だから、この問いに答えるのも、まず、原発とは別の話からしなければならないだろう。

自分の音楽活動をする傍ら、「りんりんふぇす」という音楽イベントを主催して5年目になる。これは「ビッグイシュー」というホームレスの自立支援を目的としたイギリス生まれの雑誌を応援するイベントで、りんりんふぇす来場者にはビッグイシュー最新号を配布している。