次男の逮捕から1年 みのもんた「謹慎中に考えたこと、すべてお話しします」

スクープ・インタビュー120分! 
週刊現代 プロフィール

まずは、水道メーターを図面なしでも組み立てられるようになれるかどうかです。もしもできなかったら、現場ではとても通用しない。僕は文化放送を辞めた'79年にニッコクに入社しましたが、組み立てられるようになるまでに3年かかりました。その3年間は明けても暮れてもメーターをいじり続けていました。

総務部長が、「大丈夫でしょうか」と心配してくれているけれど、ダメだったら仕方がない。僕が社長であろうが、特別扱いはしない。僕自身、ほかの社員たちが仲間として迎え入れてくれるまでに、10年かかりましたから。今、役員や支店長をしている幹部たちは一緒に苦労してきた人間です。組織とは、そういうもの。彼が仲間に加われるかどうかは本人の努力次第です。

この1年間、本人には葛藤があったでしょう。傷ついただろうし、拗ねたかもしれない。だけど、それは仕方がない。自業自得ですから。

自分の会社に入れたのは、我が子かわいさからではありません。ほかに行き先がなかったから。TBSに勤務する長男や幼稚舎からの慶應の友人らに、今後について相談していたようですが、やはり事件の影響は大きく、「ウチへ来い」という話は一つもなかったらしい。

半面、最近になって気持ちが落ち着いてきたらしく、「ニッコクでやっていきたい」と言い始めたのも自分から。だから、「分かった。だけど、和歌山の工場へ行かせるよ」と伝えました。本人は「現場の人たちは自分を受け入れてくれるだろうか」と不安がっていました。

実際、現地の工場長は頑固な男なんですよ。次男が挨拶の電話を入れたところ、初っ端から「うちは社長の息子だろうが、関係ないからな」と言われたようです。でも、その考え方は間違っていない。これから先、次男が人生を切り拓けるかどうかは、すべて自分の努力にかかっています。

ニッコクは親父が'40年に創業し、僕が'99年に後を継ぎましたが、「息子を3代目にしたい」という思いはありません。僕を押し退けるだけの力をつければ話は別ですが、まず無理でしょう。

第一、僕は1年後に会長になろうと思っているんですよ。社長の座は誰かに譲りたい。約10人いる役員、支店長の中から選ぶつもり。その中には、自ら社長になりたいと意志を表明している人間も3人いるんです。

この1年間、次男のことは静かにジッと見ていただけ。ただし、ニッコクに籍を置かせました。社会保険のことが気になったのです。幼い子供が二人いるのですから、年金の未加入期間などを作ってはいけない。日テレを退職した翌日から、切れ目なくニッコクの社会保険に加入させました。

もちろん、給料は払っていません。万一、そんなことをしようものなら、ほかの社員に示しがつかない。生活費は女房が亡くなったことで得た遺産で賄ったのでしょう。日テレからの退職金は僅かだったと聞いていますから。