あの敗戦が教えてくれた、勝ちっぱなしの人生なんてない。元高校球児たちが語る甲子園は私の先生でした

東邦・バンビ坂本 秋田経法大附属・中川申也 横浜商業・三浦将明 沖縄水産・大野倫ほか
週刊現代 プロフィール

バンビ坂本同様、アイドル球児として重圧に苦しんだのは、'89年の夏、秋田経法大附属の1年生エースだった中川申也(41歳)だ。秋田経法大附属は準決勝まで勝ち進み、あどけない顔立ちと負けん気の強さから、中川は全国的な人気を集めた。

中川が語る。

「甲子園は憧れの舞台で、そこに立てただけで楽しかった。ただ、天狗にはなりましたね」

二度と後悔しない

その後、中川にとって、甲子園は憧れではなく、絶対に出場しなければいけない大会になっていった。

「忘れられないのは、2年のときの夏の地区大会の決勝。2—1でリードして迎えた9回裏、甲子園が頭をよぎったんです。そこから連続フォアボール。すると心臓の音が聞こえてくるほど緊張してきて、マウンドに膝をついてしまい、タイムを取った。先輩から発破をかけられて何とか投げ切り、甲子園への切符を手にした。勝った瞬間、肩の荷が下りた気がしました」

安堵からか、その年の夏は3回戦で横浜商業に敗北。そして最後の夏になった'91年は、甲子園に行くことすら叶わなかった。

中川はその後、'92年にドラフト5位で阪神へ入団。しかし怪我もあり、一軍での登板のないまま、わずか4年で引退した。

「いまは妻の実家の建築会社で働きながら、週に1回野球教室で小中学生に指導しています。そこで言っているのは、『笑顔でやれよ!』ということ。ガチガチになってしまったら、もうダメですから。好きで始めた野球を嫌いになるような想いは、子供たちにしてほしくないんです」

'97年、夏の甲子園1回戦、熊本・文徳高校と千葉・市立船橋の対戦は歴史に残る大逆転劇となった。

3回表を終わって、9—1で文徳がリード。しかし3回の裏に市船は4点を返すと、続く4回にも2点を追加。そして6回の裏、一挙に10点を上げる猛攻を見せ、逆転勝ち。8点差からの逆転は、いまも残る甲子園の最大得点差逆転記録になっている。

このとき、文徳の中堅手として出場していた森田崇智(35歳)は、いまもあの試合を鮮明に覚えている。

「パニック状態でした。チーム全員が、『誰か何とかしてくれ』と願っていた。6回裏の守備が終わってベンチに戻ると、もう気持ちが萎えてしまって、取り返すぞという気力は残っていなかった」

猛特訓の末、やっと出場した甲子園。それが1回戦で、しかも気持ちで負けて終わってしまった。後悔は、してもしきれなかった。