篠崎史紀 第1回 「モーツアルトは宇宙人的な天才。ベートーヴェンはすべてが計算ずく」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ そもそもマロさんは何歳からヴァイオリンをはじめたのですか?

篠崎 物心がついたときにはもうやっていたという感じです。両親が幼児音楽教育の専門家なので、生まれてすぐに楽器が与えられたんでしょう。もちろんぼくの記憶にはないんですが、最初はただ楽器をいじって遊んでいただけで、3歳ぐらいからちゃんと演奏をはじめたそうです。

そういう環境で育ったので、それが特殊だという気持ちもなく、「やらされている」と言う気分にもならなかったんですね。しゃべることやごはんを食べることと同じような感覚だったんです。親からも強制されたことはなく、いつもリラックスして楽しみながら演奏していたと思います。

シマジ まるでモーツァルトみたいに育ったんですね。留学先をウィーンに選んだ理由はなんですか?

篠崎 最初はチェコ・スロバキアに行ったんですよ。でも当時のチェコはソビエトに押さえつけられていたので大変でした。街を歩いていると必ず警察にパスポートチェックを求められ、見せると「このパスポートは本物ではない」と因縁をつけられる。でも1ドル札を出すとすぐに解放してくれるんです。

ところがしばらく歩いているとまた別の警官に同じことをされるわけです。1日に2回同じ警官に会ったこともありました。当時あの国は配給制だったから、どこへ行っても長蛇の列が出来ていました。軍隊の力が強く、なにかあったらすぐに拳銃を突きつけられる。治安が悪いわけではないのですが、西側の体制のなかで育ったぼくはこの環境では暮らせないなと実感しました。

シマジ たしかに、当時の共産圏での生活は大変そうですね。

篠崎 じつは高校時代にも一度行っているんですが、やっぱりこれは無理だと考えてあちこち放浪しているときに、たまたまウィーンですばらしい演奏を聴いて感銘を受けまして、演奏会のあとでその人の楽屋に押しかけていって「弟子にしてください」と頼んだんです。

シマジ そのかたは有名な音楽家だったのですか?

篠崎 「弟子にしてください」と直談判したあとでわかったんですが、その先生というのは、ぼくがよくレコードで聴いていたトーマス・クリスティアンだったんです。

自分が「これだ!」と確信して、こころから尊敬出来る先生のところでないとなにも学べないものです。結局ウィーンでの暮らしは8年間におよびました。その後、日本で仕事をしたり、ウィーンと日本を行き来したりしていました。だから現地にはいまでも沢山友だちがいます。