櫻井秀勲 第4回 「『ツイッギーヲサガセ』とだけ書かれた謎の至急電報」

島地 勝彦 プロフィール

櫻井 わたしが思うに、やはり部数を伸ばす編集長というのは奇想天外なことをやれる人なんですよ。当時輝いていた編集長には現マガジンハウス名誉顧問の木滑さんがいましたね。「ポパイ」「ブルータス」と、時代に乗った雑誌を次々に創刊していました。

シマジ 木滑さんと石川次郎は一度会社を辞めたんですよ。社長の清水さんから「戻ってきてくれ」といわれて戻ったんです。

櫻井 そういう編集者たちは後々まで名前を残すような仕事をしていますよね。

シマジ それとその編集長にどれほどの強運と度胸があるか、ということでしょうか。

櫻井 わたしは運に関する本を出しているんですが、人間は生まれながらして10キロの運を持っている人と、100キロの運を持っている人がいます。具体的にいいますと、医者の家系に生まれたら医者になる可能性はグッと高くなる。そうでない人が医者になるのはハードルが高いけど、いろいろな縁によっては可能性が開けることもある。

立木 たしかにシマジなんて強運だけでここまできているよな。こいつに才能があるかどうかはいまもっておれにはわからない。

セオ たしかにシマジさんは強運の塊ですよね。運というのは使えば減るもののようにいわれますが、シマジさんを見る限りそんな風には思えません。

シマジ だからおれは1人で密かに墓参りをしているんだよ。強運が減らない方法は唯一、お墓参りしかないんだよ。これは今東光大僧正から直々にお聞きした大事なことだから、セオ、よーく覚えておけ。

セオ それではまず櫻井先生にお訊きします。「女性自身」が売れ出したきっかけはなんだったんですか?

櫻井 それはもう、ツイッギーさまさま、ということになりますね。当時、女性週刊誌は「女性自身」と「週刊女性」の2誌だけでしたが、わたしが編集長になった年に講談社から「ヤングレディ」、小学館から「女性セブン」が創刊されたんです。競争が一気に増して食い合いになったので当然部数も落ちまして、「女性自身」は70万部から60万部くらいになってしまった。

わたしは編集長を実質8年ほどやりましたが、鳴かず飛ばずで3年くらいたったころ「もう櫻井ではダメだ。そろそろ交代させよう」と上層部は思ったようです。それで1ヵ月ほどヨーロッパに行って遊んでこいということになったわけです。

わたしは外語大出身で先輩後輩が何人もヨーロッパに駐在していましたから、旅自体は結構愉しかったんですよ。それで、最後の目的地がローマでした。そこで「グラツィア」の編集長に会う約束をしていたのですが、当日になって急に役員会議が入ってしまったとか何とかで、代わりに女性の副編集長がやってきた。その彼女こそが「女性自身」の部数を上げるきっかけを与えてくれたんです。

シマジ ほう。面白くなってきましたね。