連載「男のパスタ道」第4回
間違いだらけの「ゆで汁と塩」の常識
土屋敦(書斎派パスタ求道者)

われわれパスタ好きは、薀蓄を語り、アルデンテにこだわり、ゆですぎたり、パスタを水で洗ったりする人を嘲笑したりしがちだ(それゆえ、ウザい! と敬遠されるのだ。まあ、それを言ったら『男のパスタ道』ほどウザい本はないわけだが…….)。しかし、パスタの長い歴史においては、アルデンテも、パスタを水でゆでなくなったのも、ほんのつい最近の出来事。歴史に敬意を表し、われわれはもっと謙虚にならねばなるまい。

では、なぜイタリアではパスタは冷水で洗わなくなったのか。あくまで想像だが、これはアルデンテの思想の広がりと両輪をなしているように思う。パスタを冷水で洗うことが前提なら、パスタをちょうどよい火加減までゆで、そのうえで冷水で加熱や糊化の進行を素早く止め、安定した状態にすることができる。しかし、もし冷水で冷やすことが難しい環境にあったら、早めに引き上げ、余熱でちょうどよいゆで加減まで持っていくことになるだろう。

ナポリっ子とパスタ(寓話)

以下は私が考えた寓話である。

18世紀のナポリ。スパゲッティ屋の屋台は、いつものように労働者たちでにぎわっていた。パスタがゆであがると、店主は手際よくトマトソースをからめ、削った硬質チーズをふりかけて、客に供す。混沌としたなか、客たちはパスタやソースの量が少ないと文句を言いつつ、手でパスタをわしづかみにして口に運ぶ。

路上の屋台では水は貴重だ。パスタを洗うために大量の水を使うなど、もったいなくてできない。そこで店主はパスタがゆですぎにならないよう、少し固い状態のまま、引き上げるようにした。余熱でパスタがちょうどよい柔らかさになる、という算段だ。

そして実際、あそこのパスタはちょうどいいゆで具合だ。伸びてないと評判に。しかし人気が出てくれると、せっかちな客たちは、余熱調理のために早めに引き上げた、まだ硬めのパスタへと我先に手を伸ばし、食べてしまう。

その硬めのパスタは、プツプツと歯切れがよく、その新しい食感は刺激的だ。そこで、さらに人気が出て、つねにゆでたてでアルデンテのパスタが供されるようになる。あわてた他の屋台も次々に真似しはじめ……。

さて、硬いパスタの刺激を一度知ってしまった人たちは、やわらかなパスタにもの足りなさを感じるようになった。ますます強い刺激を求め、屋台の出すアルデンテの食感はさらに強くなっていく。ナポリっ子たちは口々に言うようになった。

「歯ごたえのあるパスタは粋だねぇ。フニャフニャとやわらかいパスタなんざ野暮だよ」

『男のパスタ道』(本体850円)


妄想が暴走し、私の脳内でナポリ人のキャラクターが、落語に出てくる江戸っ子にすっかり替わってしまっているが、江戸っ子が、生物としては危険を感じるほど熱い風呂を好んだように、ナポリっ子は、やわらかいものを好む人間生来の志向に逆らって、「固有の文化」としてアルデンテを好むようになった。そして、その文化が、20世紀中盤から現在にかけて、徐々に世界中に広まっていっているというわけだ。

ともあれ、水で冷せない状況や、あるいはパスタの香りなどにこだわって水で冷したくないという信条などがあった場合、麺の弾力や硬さを担保するには、麺を早く引き上げるのが一番だ。それがアルデンテのゆで方を生み、その食感が受け入れられていったのではないのかと私は思っている。

さてさて、次回はついに最終回。いよいよペペロンチーノを作ります!

土屋敦(つちや・あつし) 料理研究家、ライター。1966年東京都生まれ。慶應大学経済学部卒業。出版社で週刊誌編 集ののち寿退社。京都での主夫生活を経て中米各国に滞在、ホンジュラスで災害支援NGOを立ち上げる。その後佐渡島で半農生活を送りつつ、情報サイト・ オールアバウトの「男の料理」ガイドを務め、雑誌等の書評執筆開始。現在は山梨の仕事場で畑仕事をしながら執筆活動を行う他、書評サイトHONZの編集 長。自称「書斎派パスタ求道者」。著書に『なんたって、豚の角煮』(だいわ文庫)他。近著『男のパスタ道』(日経プレミアシリーズ)が革命的(あるいは偏執的)レシピ本として各メディアで評判に