「悲惨な人生でも穏かに暮らすことができる」佐々木俊尚が辿りついた新たな境地

愛は幻想だけど構築可能なもの
小野 美由紀 プロフィール

ただ、と佐々木は付け加えた。

「新聞記者時代に、人と関係するのが辛くても、必死の努力でカバーして、それなりのポジションを持てた。それと同じで、『無償の愛の交換ができない』ことが分かってるからこそ、居心地の良さを希求することで、その欠けの部分を埋めて、適応してるんじゃないかなあ」

いかに寛容になれるか

結婚生活は順調。だが、自分の中で、ずっと気持ちが2つに乖離している気がしていた。このままでいいのだろうか?それを意図的に解消しようとしはじめたのは、ほんの5年くらいだ、と言う。

「他者に対して、いかに寛容になれるか」が、ここ数年の、佐々木の人生のテーマだった。

きっかけは2011年の3.11だ。原発問題、被災地支援。社会的な混乱の中で、われわれは再び、寛容さや当事者性を構築し直さなければならない、それが日本人に課せられた課題だ。

 

絶対的な善や悪は存在せず、他人の中の、善にも悪にも転びうるその不確実性を認めることが、生存戦略として重要だ、と佐々木は『「当事者」の時代』の中で書ききった。

その主張を自らの人生においても貫けるか?

佐々木の心は、まず、自らに一番近い他者である家族に向いた。自分の家族のことも、許せるだろうか。子どもの頃、暴力を受け続ける自分を黙って見ていた母親を、許せるだろうか。父の寵愛を一心に受けていた腹違いの妹を、うらやむ気持ちを止められるだろうか。

2年ほど前に大阪に帰省したとき、はじめて、父親の話を初めて母親とふたりでした。佐々木も母も、これまで家族について、多くを語ろうとしなかった。語らないほうがいいと、2人ともが判断していたからだ。

佐々木は母に初めて打ち明けた。子どもの頃、父に殴られて辛かったこと、その時に母がかばってくれなかったのが、なによりも悲しかったこと。今度は母が打ち明ける番だった。ずっと、自分を責めていた、許して欲しい、と。母が泣くのを初めて見た。

「そこで『ぼくはもう怒っていないから、これからも元気でやっていてね』みたいなことを言って。父親は遠く昔に死んだ人だし。パッションというよりは、ここでも『寛容というフレームに従ってふるまおう』という意図で、そうしているんだけど」

新聞記者時代のことだ。ある日突然、メガバンクから書類が送られてきた。実の父親が死んだから、遺産を相続する、という知らせだったが、蓋を開ければそれは相続ではなく、900万円の借金だった。

相続放棄の手続きをした折り、ついでに父が死んだ場所の住所が分かったので足を運んでみると、そこは子どもの頃に佐々木が暮らしていた4畳半のアパートから歩いて10分程度のところにある、区営住宅の一室だった。

戸籍をとって調べたところ、佐々木の母親と離婚した後に、在日韓国人の女性と結婚して、子どもも2人いたという。自分には弟が2人いたのだ。

最後は一人寂しく孤独死をした実父だったが、結婚して、子どもを2人作って、幸せだったかもしれない、と今の佐々木には思える。

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