終わりの見えない虐待に耐える毎日…ジャーナリスト・佐々木俊尚の「壮絶過去」

家族は蜃気楼のように遠い存在だった
小野 美由紀 プロフィール

小学校高学年になると、佐々木は父の暴力から逃れるため、本の世界に没頭するようになる。図書館に籠もり、手当り次第に世界文学全集を読んだ。ルナールの「にんじん」に、自分のつらい境遇を重ねた。

そのうち養父から読書すらも禁止される。自分から読書を取ったら、何が残るのか。釣りに行くふりをして家を出て、こっそりと図書館に行き、釣り道具を脇に置いて本を読むようになった。

親に殴られて育った子どもは、被虐的に育つ。「自分はダメな人間なんだ」という自己否定感、無力感。家庭で植え付けられた被虐心は、子どもたちの間にも漏れ伝わる。小学校の終わり頃までは、学校でもいじめられた。味方は、一人もいなかった。

 

「小学校から中学卒業まで、家にも、学校にも居場所がなくて。愛情も友愛もまったくない、凍り付いた世界で、『こんな人間は、いったいどうやって将来生きて行くんだろう』というアイデンティティ・クライシスを、高校の終わりくらいまで抱えて生きていた」

幼少期のつらい経験は、佐々木を「人の善意」を信じることのできないこどもにした。信頼を寄せても、裏切られるのではないか。殴られ、蹴られ、罵倒されるのではないか。

家族から切り離され、新聞配達をしながらの受験勉強

それでも、心身の成長とともに、佐々木の人生に一筋の光が刺す。

中学3年生の時、殴りかかって来た父の手を、反射的に握った。いつのまにか、自分のほうが力が強くなっていた。その瞬間「家を出て行け」と怒鳴られたが、それ以来、父の暴力からは解放された。

家を訪ねて来た父の姉が味方をしてくれたことで、それまで一人だけ隔離されていた食事も、一緒にとれるようになる。進学校に進んで、中学時代のいじめっ子から遠ざかり、 いじめられることもなくなった。

岡崎高校に入学した1977年は、1960年代の学生運動の名残の残る時代。次第に社会主義思想に傾倒する佐々木。マルクスに没頭し、この学校の体制を替えてやる、と野心を燃やした。

放課後には中庭で、社会変革に憧れる仲間と語り合った。真面目に革命家になることを夢見て、佐々木は新聞配達しながら大学受験を目指す。

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その頃、養父はトヨタの労働組合の事務局に入り、民主社会党の生活部で国会議員の私設秘書をしていた。中学生のころには菜っ葉服を着て油まみれで働いていた父が、社宅の一軒家を与えられ、麻のスーツを着て出勤するようになる。一家の羽振りがぐんと良くなったのはこの頃だ。

しかし、佐々木が高3の時、選挙違反事件に巻き込まれ 、父も公民権を停止されてしまう。

会社を辞め、逃げるようにして名古屋の団地に移り住んだ一家。転げ落ちるように生活が困窮し始める。父が知人の借金の保証人になった事で、家には毎日のように借金取りが押し掛けてくるようになった。佐々木が家で受験勉強をしていると、「金を返せ」とヤクザがアパートのドアを叩く音が響き渡る。

ある日、両親は妹だけを連れて夜逃げをする。一家から切り離された佐々木は仕方なく、朝日新聞の新聞配達員として、住み込みで働きながら受験勉強を続けた。一浪の末、早稲田大学政治経済学部に合格した。

のちに、夜逃げをした一家は有馬温泉の住み込みとして働き始めたことを知る。数年経った頃、父が病気で急死。母は仕方なく、妹を連れて鳥羽に移り、旅館で女中として働きはじめた。佐々木にとっては、捨てた家族も同然だった。