【事実関係】
8月6日、ロシアのプーチン大統領は、マレーシア航空機撃墜事件に関連して対露制裁を行った国家に対する対抗措置を定めた「ロシア連邦の安全を保障する目的の特定の特別経済措置の適用に関する大統領令第560号」に署名した。対露制裁を行った諸国からの食料品輸入を1年間禁止するという内容だ。
6日朝の記者会見でチマコワ首相報道官は、「制裁対象国に日本が含まれている」と明言した。しかし、同日夕刻に発表された、メドベージェフ首相が署名した「大統領令第560号の実施に関する諸措置」という文書によれば、制裁対象国に日本は含まれず、米国、EU(欧州連合)、カナダ、オーストラリア、ノルウエーが制裁対象国となっている。
【コメント】
1.―(1)
マレーシア航空機撃墜事件が発生した9月17日以後、ロシアと西側の関係が一層緊張している。これまでに発表された情報を総合すると、ウクライナ東部のドネツク州を実効支配している親露派武装勢力が、地対空ミサイルによってマレーシア航空機を撃墜したということは、まず間違いない。問題は、この事件にロシアのプーチン政権がどの程度関与しているかだ。
1.―(2)
米国やEUは、「ロシア政府がウクライナの内政に干渉し、親露派武装勢力を支援している」と決めつけている。ロシア政府はそのような見方を否定し、「個人として親露派を支援しているロシア人はいるが、政府は関与していない」と主張している。これはロシアが嘘をついていると、西側は見ている。
情報が錯綜して、実態については不透明であるが、ロシア政府が主張しているように、ロシアの正規軍やFSB(連邦保安庁=秘密警察)特殊部隊が親露派を支援していることはないと筆者は見ている。しかし、GRU(ロシア軍参謀本部諜報総局)のOBや関係者で、現在は軍籍を持たないロシア人が個人の資格でウクライナの東部や南部に渡って軍事顧問として親露派を支援していることは事実だ。その動機には、同胞のロシア系住民を支援したいという愛国心とビジネスが混在している。
GRUはロシア製武器の販売にも従事している。それらの武器に定価はない。武力衝突が起きれば、必ず武器の需要が生じる。GRUはこれをビジネスチャンスとして見過ごさない。武器販売で大量の裏金を作り、それを工作活動資金にしている。もちろん、プーチン大統領は、GRUの裏金作りに気づいているが、あえて止めていない。その意味で、ロシア政府には、この不作為に対する責任がある。
1.―(3)
ウクライナの親露派武装勢力は、明確な指揮命令系統を持たないゲリラ集団のようなものだ。地対空ミサイルの操作に慣れていないゲリラ兵が、マレーシア航空機をウクライナの軍用機と誤認して撃墜したのであろう。もし、ロシア軍やFSBの軍事専門家が関与していたならば、国際的非難を浴び、自らの政治的立場を著しく不利にすることになる民間航空機の撃墜などするはずがない。
2.―(3)
当初、日本政府も米国、EUに歩調を合わせる予定だった。7月28日の記者会見で、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は、ウクライナ危機をめぐり、ロシアに対する追加制裁措置を発表した。EUに同調して、日本も欧州復興開発銀行を通じたロシアでの新規事業への融資を止めると表明した。これまで日本政府が行ってきた形だけの対露制裁と異なり、今回はロシアにとって「実害」がある制裁だ。
ロシア政府はこれに激しく反発した。7月31日、ロシア国営ラジオ「ロシアの声」は、「日本版対ロ制裁の矛盾」と題する論評を報じた。
3.―(1)
8月5日、日本政府は、外務省・財務省・経済産業省の連名で、『クリミア自治共和国及びセヴァストーポリ特別市のロシア連邦への「併合」又はウクライナ東部の不安定化に直接関与していると判断される者に対する資産凍結等の措置について』という文書を発表した。
措置の内容は、40人と2団体に対する資産凍結等の措置とクリミア共和国とセヴァストーポリ市を原産地とする全ての貨物に対する輸入制限措置だが、欧州復興開発銀行を通じたロシアへの新規融資の停止が含まれていないという、ロシアに実害のない内容だ。リストに掲載された40人には、日露関係に影響を与え得る人は1人もいない。有名人は、ヤヌコヴィッチ前ウクライナ大統領、ポクロンスカヤ・クリミヤ共和国検事正(いわゆる「美しすぎる検事総長」)くらいだ。
もともとクリミアと日本の貿易は微々たるものなので、この輸入制限によってロシアは打撃を受けない。日本政府は米国、EUと共同歩調を取りつつも、ロシアとの関係に及ぼす実害を極少にするように配慮した追加制裁を行ったのである。
3.―(1)
8月5日、日本政府は、外務省・財務省・経済産業省の連名で、『クリミア自治共和国及びセヴァストーポリ特別市のロシア連邦への「併合」又はウクライナ東部の不安定化に直接関与していると判断される者に対する資産凍結等の措置について』という文書を発表した。・・・・・・(以下略)
佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」vol042(2014年8月13日配信)より