杉原 入江さんとお会いするのは2回目ですね。
入江 またお会いできて嬉しいです。きっかけは2月のNHKスペシャル「聞いてほしい 心の叫びを」で杉原さんの佇まいに惹かれたんです。「姿は魂を盛る器」というけれど、その通りの方だと思いました。それから最初のご著書『生きてみたい、もう一度』と、池田晶子賞特別賞の『ふたたび、生きて、愛して、考えたこと』を読んで、お手紙を書いたら会っていただけることになって。
杉原 最初は、私にお話しできることがあるだろうかと心配もあったの。お互いずいぶん立場が違うでしょう? 私は事件に遭った当事者だけど、入江さんは被害者の遺族で、しかも未解決事件ですよね。つらいと思う。私だったら、きっと持ちこたえられなかったな。自分のことだから、負けるもんかと思ってこられたけれど。
入江 そうですね、14年たっても未解決で「あいまいな喪失感」というのが一番つらいです。今回の『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』でも、杉原さんはひたむきに、自分の内面にも、加害者に対しても、まっすぐなベクトルで向かっていますよね。でも私や家族の思いには明確な行き先がないんです。
ときどき「入江さんはグリーフケアの活動をしているけど、それは世田谷事件が未解決でモラトリアム期間だからだよね。もし犯人が捕まったら無理じゃない?」と言われます。たしかに、裁判で犯人を見たら私は憎しみでおかしくなってしまうかもしれない。それでも事件の解決を望みます。それは被害者遺族としてゆるがせにできない。
杉原 私は最初、バスにガソリンを撒いて放火した犯人は、凶悪な人間だと思っていました。でも加害者Mさんの38年の生い立ちを報道で知ったら、悲惨で、涙が止まらなかった。自分も彼を追いつめた社会の側の人間だと思ったら「被害者面」できなくなってしまった。それに、全身熱傷で誰かの「お荷物」となって生きていく弱者としての自分と、彼が重なって見えて、取材に「犯人を憎んではいません」と答えたの。
入江 勇気ある眼差しだと思います。被害者が「加害者を憎んでいない」とは、当時なかなか言えなかったのではないですか?
杉原 「憎むべきだ」とさんざん批難を浴びました。6人死亡、14人重軽傷の無差別殺人事件ですからね。私は当時の輸血がもとでC型肝炎になり、いま肝臓がんで余命宣告を受けていますが、他にもあの事件がもとで既に亡くなった方もいる。もちろんMさんが火を投げ込んだのが悪い。でも、自分の眼で見たくて裁判を傍聴に行ったら、ほんとうに気の小さそうな人で、傍聴席に向かって「ごめんなさい」と土下座したんです。かわいそうでね。
入江 刑務所にも面会に行かれたんですよね。
杉原 生きて償ってほしい、それを支えたいと本気で思ったから。だから獄中で自殺した時には怒りでカーッと震えた。あなたに死ぬ権利があったのか? と。世間からだけでなく、彼にまで放り出されたような気がしたんです。私は彼を「赦す」と本に書いたけれど、本当は赦していなかった。でも彼のさびしさを感じたこと、結局は憎めなかったことを、どこかにいるMさんの息子に伝えたいと思った。そこからこの『炎を越えて』を書き始めました。