「医師が増えると医療費が増える」という主張は世界的には否定されている---上昌広『医療詐欺』第7章より

世田谷の挑戦

プライマリケアを「総合医」に押しつけるというのも、かなり強引です。

日本の医師は、20~30代は大学や大病院の勤務医として高度専門医療に取り組み、40代になると開業医として独立するというのが一般的なキャリアパスです。開業した医師は大学病院や大病院のOBですので、地域における高度先端医療機関の窓口という役割もあります。つまり、日本の開業医というのは、地域のプライマリケアと、専門領域医師という二つの役割を担ってきたのです。

このような歴史的背景や、地域医療のバックグラウンドを考慮せず、制度だけアメリカの猿真似をしたところでプライマリケアの拡充などできるわけがありません。

"日本型プライマリケア"の未来を考えるうえで参考になるのは、海の向こうではなく国内なのです。

たとえば、東京・世田谷にある開業医ネットワーク「世田谷区若手医師の会」はひとつの成功モデルケースでしょう。ふだんから家族ぐるみでつきあいをおこない、相互理解を深めている彼らは、自分の専門外の患者がきた場合、そのネットワークを介して、地域で開業している専門医のクリニックに紹介をするのです。

このようなクリニックのなかには、院長の後輩である大学病院の医師などがバイトにきている場合もあるため、地域社会からも「最先端医療が近所で受けられる」と高く評価されています。

医療の高度化・専門化が進んだ今だからこそ、必要なのは、専門分野の医師同士を結ぶ「地域ネットワーク」なのです。

日本の医療行政は「ブラック」

ところが、厚労省がすすめているのはまったく逆の政策です。

「医療の高度化・専門化が進んだ結果、自分の専門分野しか分からないという医師が増えました」として他の分野も身に付けろというのが厚労省の主張ですが、その専門分野も日進月歩で高度化・専門化がすすんでいくことを忘れてはいけません。

毎日の診療をおこないながら、それらを一人の「総合医」がすべてアップデートしていくことなどできるわけがありません。

日本の看護師がアメリカの看護師の8人相当に換算される労働を強いられているという話をしましたが、それを今度は医師の専門領域でやろうというわけです。

このような構造を聞いて、何かと似ていると感じないでしょうか。

そう、「ブラック企業」です。

低賃金の若年層などに過重労働を強いることで利益を確保する企業などがメディアから叩かれていますが、サービスや商品の独創性で利益を増やすことを考えず、とにかく低い人件費によって「数字合わせ」をしていくという点では、日本の医療行政は「ブラック企業」とよく似ています。

ここで誤解をしてほしくないのは、私はなにも「医師や看護師もかなりキツい仕事なので、もうちょっと労(いたわ)ってください」などと情に訴えているわけではないということです。

ほとんどの医療従事者は、人を助けたい、誰かの役にたちたい、という志のもとにこの道に入りました。過酷な労働環境は覚悟しています。

ただ、医師や看護師も「マシーン」ではありません。過重労働を強いられれば当然、心身が疲弊し、集中力も落ちます。意図せぬミスや、正しい判断ができないということもあるかもしれません。

つまり、医療をブラック企業化するということは、めぐりめぐって医療の安全性が損なわれ、結局は患者であるみなさんが危険に晒されてしまうということなのです。

多くの先進国では、医師の労働時間を規制しています。これは医師の健康管理が主たる目的ではありません。睡眠不足の医師が医療事故を起こしたことをきっかけに、医療事故を予防するという観点から議論がはじまったのです。みなさんも、徹夜明けの外科医に手術をされたくないでしょう。日本も見習わねばなりません。

 【次回につづく】

上 昌広(かみ・まさひろ)
東京大学医科学研究所「先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門」特任教授。医学博士。1968年、兵庫県生まれ。1993年、東京大学 医学部医学科卒。東京大学医学部付属病院にて内科研修医となり、1995年、東京都立駒込病院血液内科医員。1999年、東京大学大学院医学系研究科博士 課程を修了し、虎の門病院血液科医員に。2001年から国立がんセンター中央病院薬物療法部の医員も務め、造血器悪性腫瘍の臨床研究を行う。2005年、 東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンス、メディカルネットワークを研究。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感 染症学。

著者:上 昌広
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