「医師が増えると医療費が増える」という主張は世界的には否定されている---上昌広『医療詐欺』第7章より

医療費亡国論のカラクリ

そう聞くと、多くの方が「だったら、しょうがないか」と引き下がってしまうことでしょう。

医療と福祉の財政がパンク寸前ということで、国民に「痛み」を伴う消費増税を強いているなかで、国債を大量に発行し、「国の借金が過去最大! 1人あたり800万円」なんてニュースも大きく報じられています。

医療費を抑えなくてはならない今、医師を増やせなんてことを主張することのほうが無責任ではないか――。

なんだかもっともらしいロジックですが、実はこれにもカラクリがあります。

最新の調査研究では、医療費を抑えるのと、医師を増やすことにはほとんど因果関係がないということがわかってきており、むしろ世界の医療経済学のなかでは、「医師を増やしても、医療費は増えない」というほうが主流なのです。

そもそも、先ほどの「医療費亡国論」が生まれたのは今からおよそ30年前。きっかけは1983年、アメリカの医療経済研究者らが発表した研究でした。

これがすぐに日本にもちこまれ、時の厚生省保険局長・吉村仁氏(後の厚生事務次官)が論文・講演・国会答弁など様々な場面でふれまわりました。医療費が今のペースで増加をしていけば、日本の財政は間違いなく破綻をする。だから医療費の膨張を食い止めるためならば私は鬼にも蛇にもなる、という凄まじい意気込みで、医師優遇税制改革、サラリーマンの二割自己負担等様々な改革に着手をしました。

その大ナタは当然、「医師数」にも向けられます。

医療費抑制のためには医師を増やすなどもってのほか、むしろ減らすべきだということで、医学部定員を最大時に比較して7%削減しました。つまり、30年以上も「医学部新設」がタブー視されてきた根幹には、この「医療費亡国論」があるのです。

三〇年前の理論が罷り通る理由

ただ、ここでみなさんは不思議に思わないでしょうか。

どんな立派な経済理論でもそれが30年間も通用するわけがない。社会情勢も変われば、調査や研究の手法も日進月歩しているなかで、過去の理論も検証・修正がなされていくのが普通ではないか――。

そのとおりです。

ですから、この「医療費亡国論」も多くの研究者が検証し、発祥の地であるアメリカをはじめ、欧州などでも否定されているのです。

たとえば、「医療費亡国論」の論拠となっている「増え過ぎた医師が患者を唆(そそのか)して不必要な医療行為をする」という点も現在では否定されています。

かつてのような患者に情報がなかった時代ならいざ知らず、現在は医療に関する情報もネットや本で得ることができます。また、セカンドオピニオンも普及しました。つまり、医療の決定権が患者に移行しているという事情も考慮すれば、一部の悪徳医師がそのような行為をおこなったとしても、国家財政に破綻をきたすほどのレベルではない、という研究結果が多くみられています。

では、そのように時代遅れの論理が、なぜ日本では2014年現在まで生き長らえているのでしょうか。

ひとつには日本の官僚社会の悪しき慣例が関係しています。

よく言われることですが、厚労省に限らず霞が関では、先輩官僚など先人を否定することは許されません。"上"を否定するということは、連綿と続いてきた「官僚ムラ」の存在基盤を批判するということになるので、まさしく村八分になってしまいます。村八分になれば、閑職に追いやられるだけではなく、天下り先や再就職先斡旋という助け合いの輪に入れてももらえなくなります。

30年前、「医療費亡国論」を錦の御旗として数々の改革をすすめた吉村氏は「ミスター官僚」と呼ばれた大物官僚です。「医療費亡国論」を否定するということは、吉村氏のライン、系譜をすべて敵にまわすということでもあるのです。このような"官僚社会の力学"が関係しているのは想像に難くありません。

また、財政難のわが国で厚労官僚が財務省と真っ向から「ケンカ」して、医学部新設の予算をとってくるのは至難の業でしょう。知人の厚労官僚は「厚労省は財務省がとにかく怖い。よほど、政治家がはっきり指示しないかぎり、あえて財務省を説得しようとはしない」と言います。本音なのでしょう。

このような状況を考えれば、官僚社会ではなかなか現行制度をガラッと変えるような改革をすすめることは困難です。