「上書き保存」で、記憶を編集する
ニューロンの科学が示唆するPTSDの治療

その人物は、ダニエラ・シラー。ニューヨークのアッパーイーストサイドにある、マウントサイナイ医科大学で、情緒神経科学(affective neuroscience)の研究室を率いています。ストレートのブロンドで、気品のある顔立ちの彼女は、リッチな環境のアッパーイーストサイドの風景にしっくりと馴染みそうです。しかし実際には、彼女はおしゃれでリッチな環境どころか、喧騒のテルアビブの出身なのだそうです。

シラーがニューロンレベルで、人の情緒、とくに恐怖の記憶の研究を志すようになった背景には、お父さんのジークムント・シラーの存在がありました。ジークムントは、ナチのホロコーストのサバイバーなのです。彼は第二次世界大戦の最初の2年間を、当時はポーランド、現在はウクライナに属するホロデンカのゲットーで過ごし、続く2年間は、ドイツ人の手を逃れ、ウクライナ南西部のあちこちにあった掩蔽壕を転々としながら逃げのびました。が、ついに1942年、15歳のときに、ドイツ人に捕まって強制収容所に送られ、そこでどうにか終戦まで生き延びたという経歴の持ち主だったのです。

ジークムントは、その長い歳月の経験について、誰にもひとことも語らなかったそうです。いえ、ただ単に、語らないというだけではありません。「ヨム・ハショア(ホロコースト記念日)」というイスラエルの重要な記念日でさえ、行事そのものを完全に無視していたというのです。春先に訪れるヨム・ハショアの日には、イスラエルのいたるところでサイレンが鳴り、それとともにはすべての人が動きを止めてーー道を行く人は立ち止まり、作業中の人は手を休めてーー数分間、ホロコーストの犠牲者に黙祷を捧げるのだそうです。これはイスラエルの人々にとって、とてもとても大切なひととき。ところがジークムントは、まるでそのサイレンさえ聞こえないかのように、動きを止めもしなければ、祈りもしなかったそうです。子どもだったダニエラが父親に、「何があったの?」と尋ねても、父親はその質問を完全にスルーしたといいます。

そんなわけで、シラーの家庭内では、父親のホロコースト経験についての会話はまったくなかったわけですが、彼女の心のどこかにはいつも、重苦しい疑問がのしかかっていたのでした。それも無理はありませんよね。お父さんの身に何が起こったんだろう? ホロコーストに関する本や映画などに描かれている、ナチスの残虐行為のうち、お父さんは、どれとどれとどれとどれを経験したのだろうか(ひとつやふたつではないでしょうね)? 映画にもなった小説『ソフィーの選択』に描かれたような選択と地続きの判断を、お父さんは何度も迫られたのだろうか?

いつまでも消えることのない強い恐怖の記憶は、ホロコースト・サバイバーだけのものではありません。レイプ・サバイバー、戦争経験者(アメリカであればアフガニスタンやイラク)など、何らかのPTSDに苦しむ人たちは、アメリカでは人口の五パーセント以上にのぼると言われています。強い恐怖記憶にとらわれるだけでもつらいことですが、そのせいで普通に生活を営むことが難しくなり、人間関係をうまく結べなくなったりもします。そういう人たちの苦しみを目の当たりにする家族や医療従事者は、なんとか手助けをしたい、この苦しみを癒してあげたい、と思わずにはいられないでしょう。

普通、わたしたちの苦しみや悲しみは、時とともに和らいでいきます。「時薬(ときぐすり)」とは、よく言ったものですね。しかし、強い恐怖の経験と結びついた重いPTSDに対しては、有効だと言えるような治療法がいまだにありません。よく用いられるのは行動療法ですが、しかしそれも、効果があるのかないのかはっきりせず、効いているかのように見えて、結局はぶり返すことになったり・・・。

恐怖の記憶を、消すことはできるのでしょうか?