いま話題の”新しい魔女”のルーツを探る『魔女の世界史』

ガードナーたちは、民間の昔話、薬草などの民間療法に学ぼうとしていました。本書では「それは近所のおばあさんの昔から伝えられている知恵であり、魔女とはその賢い知恵を持つおばあさんなのであった」と書かれています。

1951年、「魔女禁止法」が廃止されると、ガードナーは「魔女」を古代から連綿と続いてきたものとして体系化しようとします。しかしこれに反発する魔女たちもいたのです。「魔女禁止法」が廃止された1950年代のうちに、ガードナーの派閥はさっそく2つに分裂します。ガードナー自身が中心となった公然化をよしとするグループと、1951年に亡くなったドロシーの跡を付いだヴァリアンテという魔女を中心とする非公然化を保持しようとするグループです。

ガードナーは「魔女の知恵」を体系化し、「魔女ブーム」を生み出しました。ガードナー派と呼ばれる正統派のグループは、厳しい基準でメンバーを選んでいたので非常に少数しかいませんでしたが、「魔女」を自称する人が大量に現れるようになりました。これが「新魔女運動」という大きなムーブメントになったのです。

イギリスで生まれたガードナー派は、アメリカにも伝えられ「新魔女運動」はアメリカでも大きく展開していきます。ガードナー派の影響を受けつつ、独自に無数のグループが活動していました。1960年代に、ハインラインのSF小説『異星の客』に触発されて作られた「宗教団体」である「チャーチ・オブ・オール・ワールズ」もそのひとつです。最初はただのSFマニアによる遊びのようなものだったと思われますが、1968年にガードナー派の魔女たちと接触し、魔術を学んで「新魔女運動」に参加するようになったそうです。

著者は「SF小説の発達は、新魔女運動への大きな刺激となった。なぜなら、地球上の生活だけでなく、さまざまな別世界、パラレル・ワールドについて想像することは、今の生活のルールが絶対的ではなく、相対的であることを考えやすくしたからである」と述べています。興味深い指摘ですね。

ともあれ、1960年代にはガードナー派の魔女の「教科書」が発売されて広く読まれ、セルフメイドで魔術のグループが作られるようになりました。続く1970年代、1980年代には多くの魔術のハウトゥー本が刊行されたと言われています。

本書には、SFだけでなく、ニューエイジ運動と新魔女運動の、近接しつつも微妙に対立しあう関係についても紹介されています。秘密結社のように参加が困難ではなくなった1960年代以降、林立する魔女グループ諸派は、互いに連携するようになりました。カウンターカルチャーの影響のもとに登場し発展したという意味ではニューエイジも新魔女運動も非常に近いのですが、未来志向で一神教的なニューエイジと、伝統志向で多神教的な新魔女運動は、融合できなかったのです。

また、シャーマニズムについても触れられている部分も興味深いです。本書での書き方はおそらく意図的にそう書いていませんが、紹介のために単純化して言えば、相容れなかったニューエイジと新魔女運動は、シャーマニズムの登場によってようやく融合することになったのです。1970年代後半に刊行されたミルチャ・エリアーデ『オカルティズム・魔術・文化流行』がはじめフランスで巻き起こしたシャーマニズム・ブームは、ニューエイジ現象のひとつとなりました。そしてアメリカではネイティブアメリカンの部族文化を蘇らせ、1980年代後半にはネオシャーマニズム、エクスタシー文化を流行させ、これが新魔女運動にも取り入れられたのです。本書は「現代の巫女たちは、踊りや音楽、さらにドラッグによって酔い、エクスタシーに入り、現実の身体を脱出して天空を飛ぼうとする」と書いています。