『辻静雄』を知っていますか?

鹿島茂の『辻静雄の前に辻静雄なく、辻静雄の後に辻静雄なし』、玉村豊男の『私が垣間見たカリスマの横顔-先駆者の孤独を偲んで』、息子である辻芳樹と石毛の対談『辻静雄と食文化研究』、教え子たちが書いた辻の思い出、などなど。いかに辻が多くの人に敬愛されていたかがわかる。

私だけかもしれないが、特定の人物についてのムックというのは、買ってもなかなか全部読み切ることはない。このムックは違った。どの記事も読み応えがある。なかでも『料理人はエロチックであれ』と題された、伊丹十三+種村季弘+辻 静夫の鼎談が出色だ。もちろんフランス料理をめぐる話題が中心なのだが、その中で、辻はこのように語っている。

"知らないということは幸福なんですよ。情報を与えられるということが人間の不幸の始まりなんです。"

『美味礼賛』で興味をもち、辻静雄の本をしばらく読みあさっていた。どの本にあったか、どのような表現であったかは忘れたが、二つ、心に刻み込まれた内容があった。ひとつは、食事についての話だ。辻には、トップレベルの店から最高のものが供される。しかし、どれだけ美味しいものであっても、批判的な舌で味わってしまうというのだ。

連日、最高に美味しいものを食べるというのは、うらやましいことだ。しかし、こういう姿勢で食べねばならないとなるとどうだろう。それも連日である。幸福とは何かを考える時、いつも、このことが頭をよぎる。そして思う。他人のものであれ自分のものであれ、幸福とは何かなど、ほんとうの意味で『わかる』いうことなどないのではないかと。これは自分の生き方のひとつの指針になっている。上にあげた辻の言葉、このエピソードを知ると、いっさい味わいが深くならないだろうか。

もう一つは、まともに修行もせずに2~3年で腕前をあげた料理人と、必死でがんばって5年でようやく一人前になった料理人のどちらを雇うか、という問いに、迷うことなく前者を選ぶ、と書いてあったことだ。

若い自分には強烈な違和感があった。努力と能力、どちらが尊いのか、どちらを優先すべきか。いまの年齢になれば、前者を選ばざるをえないかとは思う。しかし、このことを思いうかべるたびに、はたして自分は成長したのか、はたまた、すり切れたのか、苦い笑いをうかべてしまう。

この程度の二つのことでお世話になったと思われたら、辻静雄には迷惑なことかもしれない。しかし、いつまでも記憶に残る強烈なインパクトのあるエピソードを二つも供してもらえたら、勝手にお世話になったと思ってもいいような気もしている。

美味礼讃
作者:海老沢 泰久
出版社:文藝春秋

内容紹介
彼以前は西洋料理だった。彼がほんもののフランス料理をもたらした。その男、辻静雄の半生を描く伝記小説。

最初に刊行されてから20年。ノンフィクションの寿命というのは決して長くないけれど、絶版になっていない。このことからも人気のほどがうかがえる超オススメの一冊です!

世界の食べもの――食の文化地理
作者:石毛 直道
出版社:講談社

内容紹介
日本、朝鮮、中国、東南アジア諸国、オセアニア、マグレブ…。それぞれの風土や歴史と食生活の関連を探求し、日本の食事文化を位置づけたうえで、米・酒・麺・茶・コーヒーなど食べものから見た世界地図を描き出す。各地を探検し“食文化”研究を確立したパイオニアの手による入門書にして冒険の書。舌は世界を駆けめぐる。美味いものに国境なし。

石毛直道の本はどれもおもしろいけれど、とりあえず一冊だけ。

辻静雄 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
出版社:河出書房新社

内容紹介
丸谷才一いわく「明治初期に行われた学問・文化の紹介を使命感をもって昭和に行なった男」。食べに食べ、味わい尽くした人生60年。辻静雄の業績を辿り日本の食文化研究を考える。

『ノンフィクションはこれを読め! 2013』HONZが選んだ110冊
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社

内容紹介
『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』『ランドセル俳人の五・七・五』等、書評サイトHONZのお薦めレビューを集大成。