[裏方NAVI]
平林泰三(ラグビーレフリー)<前編>「試合で選手を育てるレフリング」

スポーツコミュニケーションズ

準備はマネジメントの第一歩

 平林がラグビーを始めたのは5歳の時。それ以来、テレビで目にするイングランドのラグビーに憧れ、「いつかイングランド代表として6カ国対抗に出る」ことを夢見ていたという。転機が訪れたのは高校3年の秋。高校ラグビーの聖地・花園への出場がかなわず、プレーヤーとしての自分に見切りをつけた平林は、レフリーとして世界の舞台に立つことを新たな目標としたのだ。地元の宮崎産業経営大学に通いながら、平林はレフリーの道を歩み始めた。

 そんな平林に期待を寄せたのが、彼が「1番目の師匠」と呼ぶ川崎重雄だ。当時、川崎はインターナショナルレフリーを務めながら後継者の育成にも力を入れていた。
「10年後に宮崎からトップレフリーを輩出する」
 川崎にはそんな思いがあった。
「泰三くんがレフリーをやりたいと言って来た時、感銘を受けましたよ。それまでレフリーと言えば、現役を引退した教員やサラリーマンがやるのが普通だった。ところが、まだまだプレーもできる10代の子がやりたいと言う。これは若い芽が育つな、と思いました」

 とはいえ、当時川崎が後進にと指導に力を入れていたのは、自分と近い世代の若者たちであり、平林をすぐにどうという目では見ていなかったという。平林が大学2年の時に参加した宮崎県ラグビー協会が支援した豪州への留学時も、まだ若干19歳の若者はメインターゲットにはなっていなかったのである。ところが、平林は人一倍強いラグビーへの情熱と行動力で、あれよあれよという間に、先輩たちを追い越していったのだ。川崎が驚いたのも無理はない。彼が最初に会った平林は、レフリーとして右も左もわからないゼロの状態だったのだから――。

「そのパンツは何だ! レフリーが履くものではないだろう」
 平林が初めてレフリーの研修会場を訪れた時のことだ。川崎に開口一番、叱られたのはユニフォームについてだった。当時の平林にはレフリーがどういう服装をするかもわかっていなかったのだ。
「とにかく川崎さんには基本中の基本から教わりました。一番に言われたのは、準備すること。ユニフォームの着こなしから、髪型や顔の表情まで、身だしなみをきちんとして、選手の前に立ちなさいと言われました。第一印象がとても大事だよ、と。今考えると、それってマネジメントの入り口の部分なんですよね。印象で人間の心理は変わりますから」

 実は川崎は、ユニフォームについて叱ったことを覚えてはいない。だが、身だしなみにおいては、口を酸っぱくして言ったことは確かだという。
「スパイクはきちんと磨いていきなさい、とか見た目については、厳しく指導しましたね。なぜなら、レフリーは選手から尊敬されるようでなくてはいけないからです。そうしなければ、自分たちの勝負を委ねてはもらえまませんよ」

 そして、こう続けた。
「でも、彼が今でもそのことを印象深く覚えているということは、それだけ聞く耳を持っていたということでしょう。レフリーは主張するだけではダメなんです。ピッチ上では毅然たる態度で責任を持ってジャッジする。そして、ピッチ以外では人の言うことに耳を貸して、常に自分のジャッジが正しかったかを確認する。レフリーはその繰り返し。そういう意味では、泰三くんは今でもちゃんと人の言うことに耳を傾けますよ。だからこそ、彼は成長しているんだと思います」