プロ野球異聞録 転向——「小さな4番打者」ヤクルト・雄平の決断 入団から7年、投手を捨てた……

週刊現代 プロフィール

決して腐らなかった

雄平が打者として覚醒するきっかけとなったのが、当時二軍の打撃コーチだった真中満との出会いだった。二人には共通点が多かった。同じ左打者であり、胴長、短足。小太りの体型がそっくりだった。

「体を軸にして、その場で回転してボールを叩く。重心が低いからこそできる真中流のバッティングフォームが、雄平にもドンピシャはまったんです」(前出の猿渡)

遠目に見ると、双子のように見える二人。「球界のザ・たっち」と冗談で呼ぶ記者もいた。だが、真中コーチと二人三脚での練習はそんな冗談がまるで似合わない過酷なものだった。手のひらのマメは破れ続け、皮手袋に血が滲んでも雄平はバットを振り続けた。

結果は少しずつ出始める。'11年にはイースタン・リーグで打率・330の好成績を記録。そして、打者転向4年目の'13年には、7番ライトで開幕3戦目のスタメンに名を連ねた。

しかし、その試合で阪神の藤浪晋太郎からホームランを放ち、ブレイクを予感させた矢先、雄平をまたしても悲劇が襲う。

4月17日の中日戦、守備でダイビングキャッチを試み、着地の際に右ひざを強打。痛みに強い雄平が、自力で起き上がることができないほどの重傷だった。前十字靭帯断裂。手術を余儀なくされた雄平は、残りのシーズンを棒に振る。

当時、二軍コーチを務めていた松井優典はこう語る。

「野手として花開こうとしていただけに、悔しかったと思いますよ。でも雄平は腐らなかった。休んでいる間も、ウェイトトレーニングを続けて、さらにパワーアップして帰ってきた」

前出の藤本が、その姿を振り返る。

「リハビリ中も辛そうな顔は一切見せませんでしたね。チームの誰よりも早く来て、復帰のためにトレーニングに励んでいた。その姿には胸を打たれるものがありました。投手から打者に転向したこと、ケガで野球ができなかったこと、そうした逆境を雄平はすべてパワーに変えていったんです」

3月28日、今季の開幕戦。壮絶なリハビリを乗り越えた雄平の名前が、スタメンの中にあった。

「努力しても必ず報われるとは限らない。でも努力しない人間が報われることは絶対にない」