プロ野球異聞録 転向——「小さな4番打者」ヤクルト・雄平の決断 入団から7年、投手を捨てた……

週刊現代 プロフィール

「ど真ん中の直球なのに打てなかった」と本人が言うほど、久々の打席に立った雄平は、プロの投手のスピードに改めて驚いた。

雄平と同じくプロ入り後、投手から野手に転向した経験を持ち、現在ヤクルトの二軍コーチを務める宮出隆自は野手転向の難しさをこう語る。

「いままでバットを振っていなかったので、僕も野手に転向した時は、プロのピッチャーのスピードに慣れるのに時間がかかりましたね。特に内側に曲がってくるボールには戸惑った。

僕はケガでピッチャーをあきらめた人間なので、野手転向の話を打診された時は『やります』と即答したんですが、雄平はケガ以外の理由でピッチャーをあきらめるよう通告された。複雑な心境だったと思います」

投手を捨てる—迷った末、雄平が野手転向への決断を下したのは、入団から7年が経った'09年の秋だった。元チームメイトで、雄平をよく知る藤本敦士が語る。

「7年間、投手としてできることは全部やってきた上での結果だから、最後は本人も納得できたのでしょう。大きな決断だったと思いますが、プロの世界は石に噛り付いてでも生き残る道を見つけるしかない。雄平がどれくらいの覚悟で打者転向を決めたかは、打撃練習に取り組む姿勢を見ればすぐに分かりました」

その日から雄平は、来る日も来る日もバットを振り続けた。1日800スイングをノルマに掲げ、マシンを相手に打撃練習を繰り返す。出遅れた7年間を取り戻そうと、とにかくがむしゃらだった。

努力を続けられる才能—これこそが、野球の神様が球速の他にもう一つ雄平に与えた「武器」だった。

東北高校前監督で、雄平の在籍時にコーチを務めていた五十嵐征彦はこう語る。

「高井は抜群の身体能力を持っていましたが、それに驕ることなく、とにかくストイックに練習する選手でした。だから、高井が3年生の時に入学してきたダルビッシュ有の教育係に彼を指名したんです。二人は寮でも同部屋でしたが、高井はテレビを見ている間も、鉄アレイを手放さなかった。そんな高井の姿を見て、あれだけ能力がズバ抜けていたダルビッシュですら、『高井さんを尊敬する』と言っていました」

前出の大田コーチも「こちらが止めないと壊れるまでやるんじゃないかと思うくらい練習する選手」と雄平を評する。

「彼のフリーバッティングを見た時、手打ちでコネるようなバッティングになっていたことがあったんです。どこか悪いのかなと思っていたら、やっぱり膝を痛めていた。でもそれをコーチである私たちには隠して練習を続けていたんです。雄平としては『打者に転向したばかりなのに痛いなんて言ってられない』と思っていたのでしょう。決して弱音を吐かない、雄平はそういう選手なんです」