プロ野球異聞録 転向——「小さな4番打者」ヤクルト・雄平の決断 入団から7年、投手を捨てた……

週刊現代 プロフィール

'02年秋のドラフト会議では、高校生ドラフトの1巡目でヤクルトと近鉄が競合。雄平の「当たりクジ」を見事引き当てた、当時監督の若松勉が言う。

「身長174cmと体は小さかったですけど、すごい球を放っていたので、将来はヤクルトを背負っていくピッチャーになってほしいと思っていましたね。コントロールのバラつきはちょっと気になりましたが、球質も重かったし、心配より期待のほうが何倍も大きかった」

入団時の背番号は、前年までのエース・石井一久がつけていた16番。石井のメジャー移籍にともない、「左のエース番号」を雄平が引き継ぐことになった。ここにも首脳陣の期待の高さがうかがえる。

プロ1年目は悪くないスタートに見えた。4月に初登板、6月に先発初勝利を挙げ、2桁奪三振も記録。最終的には5勝6敗と高卒ルーキーとしては合格点の成績だった。

しかし、課題はすでに数字に表れていた。102投球回で63四死球、12暴投。

「初モノ」は投手が有利、1年目は球威だけでなんとか抑えられたが、2年目、3年目と時が経つにつれ、雄平のピッチングはどんどん苦しくなった。

当時の雄平について古田がこう語る。

「ストレートもスライダーもいいものを持っていたんだけど、とにかくコントロールが悪かった。そのせいでボールカウントが悪くなってしまい、スピードを抑えてストライクを取りにいくボールを痛打されるという悪いパターンでしたね」

相手チームから研究された雄平は、プロの世界では単なる「ノーコンピッチャー」だった。

自分を完全に見失った

'06年からは先発を外れ、中継ぎに回るも36試合に登板して2勝1敗5ホールド。防御率は6・51と過去最低の成績に終わる。

雄平は、この年の10月の横浜戦で、もう一度だけ先発復帰のチャンスをもらう。そこで演じたのは、大失態だった。

1回の表、先頭打者の石井琢朗に四球を与えた後、連続暴投で3塁へ進塁させると、雄平が投じた次のボールは、キャッチャーのはるか上を通過し、バックネットに突き刺さった。完全なるスッポ抜け。1イニング3暴投、ノーヒットで1点を献上し、雄平はマウンドに呆然と立ち尽くした。

なぜストライクが入らないのか—当時、いちばん悩んでいたのはもちろん雄平本人だった。ヤクルトの一軍コーチを務めていた大田卓司はこう語る。