シー・ユー・チェン 第4回 「隠遁生活から復帰して挑んだユニクロのブランディング戦略」

島地 勝彦 プロフィール

ヒノ でもチェンさんを有名にしたのは、なんといってもユニクロのイメージを一新して、売上を飛躍的に伸ばしたビッグプロジェクトですよね。

チェン それもGAPとナイキの2つのプロジェクトが評価されてのことなんです。1998年、ユニクロの東証一部上場に向けたマーケティング戦略の開発という依頼を受けました。これは伊藤忠商事からユニクロに移られた副社長の澤田貴志さんからお声かけいただいたプロジェクトでした。

シマジ 面白くなってきました。ユニクロのあれだけの成功談にはいろいろユニークなエピソードがあったでしょうね。

チェン 山口県宇部市の工業団地のなかにあるユニクロのオフィスをはじめて訪ねたとき、あっと思ったのは、澤田さんをはじめ社員の方々がユニクロの服を着ていないということでした。みんな好き勝手に他社のカジュアルウェアを着ていたんです。

GAPでもナイキでも、社員が他社のものを身につけていたら怒られるでしょう。すぐさまそのことを澤田さんに進言すると、「来週からみんなうちの服を着るように」と全社員に号令がかかり、見事に全員が自社製品を着てくるようになったんです。そうすることで自社製品はどこがいいのか、どこが悪いのか、実感としてわかってくるものです。

ヒノ CIAが関わりはじめたころのユニクロの売り上げはどれくらいだったんですか?

チェン 年商で830億円はありましたね。

立木 それが、CIAがブランド構築に関わることで、どれくらい大きくなったの?

チェン 1998年にわれわれが想定した5,000億円という売り上げ目標にユニクロは2008年に到達しています。

シマジ 凄いですね。企業イメージを変えるだけで10倍も売り上げを伸ばしたんですか。

チェン わたしが凄いわけではなく、社長の柳井さんの即断と実行力があってこそでした。たとえば店舗開発のプロトタイプストアに時間をかけなければいけないと提案すると、山口にあった店舗を1軒閉鎖して、そこを原宿店に見立てて全エネルギーを注ぎ込んでくれたのです。

ヒノ やっぱり柳井社長は決断が早いんですね。