シー・ユー・チェン 第4回 「隠遁生活から復帰して挑んだユニクロのブランディング戦略」

島地 勝彦 プロフィール

ヒノ スピリチュアルなアイデンティティーを求めていた頃は、チベットあたりを巡っていたそうですね。

チェン はい。そこでこんなことがありました。ムスタン王国で片道4日間のトレッキングをしていたときのことなんですが、200メートルはあろうかという断崖絶壁沿いの細い1本道を歩いていたら、ムスタン馬という小さな馬とヤクが遠くから暴走してきました。道が狭くて避けようにも避けられず、足を踏み外したら崖下に落ちてしまいそうな際どい場所でした。

必死に崖のへりにしがみついていると、わたしの手の上を馬がパカパカ走って行きました。馬に乗った現地の少女がやさしい微笑みを残して風のように去って行きました。そのとき突然、もう一度新しい希望を持って人生に立ち向かってみようという気持ちが湧きあがってきたのです。

とはいえ先程も言いましたが、いまのカミさんと出会い結婚してしまったこともあり、隠遁生活どころではなくなっていたのも事実なんですが・・・。

シマジ チェンさんは一度目の経験から結婚というものは知り尽くしていたでしょうけれど、再婚なさったのは何歳のときだったんですか?

チェン わたしが46歳でカミさんが28歳のときでした。

立木 よっぽどいい女に巡り会ったんだね。

シマジ 人生は恐ろしい冗談の連続ですからね、仕方ないんですよ。でもそのタイミングの再婚が、チェンさんをビジネスの世界に引き戻したわけですから、いいことだったんすよ。華僑の男が隠遁しているのは勿体ない感じがしますからね。

チェン そんなこんなで再びCIAのビジネスをはじめたんですが、今度は仕事の中心を空間プロデュースからブランド構築のほうに切り替えていきました。

CIAの再出発はわたしを入れて社員3名だけでしたが、まもなくGAPの仕事が舞い込んできました。バブル崩壊の影響で東京の不動産価格が下落したことで、海外のブランドが進出し出したのです。GAPは日本の若者をターゲットとして渋谷や青山あたりにフラッグショップが欲しいということでした。だからGAPに関しては不動産開発の仕事からはじめたわけです。ほぼ同時期に今度はナイキからも声がかかりました。

シマジ やっぱりチェンさんは隠遁生活より、生き馬の目を抜くようなハードなビジネスに携わっているほうがお似合いですね。