深刻な虚無の淵を想起させる
有力商社社員らの架空投資事件

兜町の変遷 2

 兜町が様相を変えてゆくなか、市場のあり方も変遷を重ねている。その変化の一面であり、ある意味での核心を、日刊工業新聞、東洋経済新報社の勤務後、フリーの経済ライターとなった高橋篤史氏は、以下のように総括している。

丸紅架空投資事件 アスクレピオスの齋藤社長宅に家宅捜索に入る捜査員。「丸紅」の偽造文書が使用された

「ただひとつ言えることがある。『現代の仕手筋』は株式市場を直接に侵食し始めているという看過できない事実だ。

 かつての相場師は言ってみれば一投機家の存在にとどまり続けた。株式関係者のあいだでは投機家は必ずしも悪とは見られない。

 下げ相場であえて買いを入れ、上げ相場で早々と売りに出る―そうした投機家ならではの機略に富んだ手口は市場の潤滑油でもある。

 一方で『現代の仕手筋』は市場に流通する株式を売買するだけではない。上場企業そのものに食らいつき、強引ともいえる手法で自らの利益を極大化させるべく、なりふり構わぬ行動に走り、株式の発行体を内部から食い破る。その分、市場の公正は歪められ、その規律が乱れることは、言うまでもない。

 上場企業のなかには怪しげなマネーの結節点としての存在価値しかないようなところもいまでは数多い」(『兜町コンフィデンシャル 株式市場の裏側で何が起きているのか』)。

 昔日の相場師は、投機家にすぎなかったが、「現代の仕手筋」は、「上場企業そのものに食らいつ」く、という比較は凄まじいものだ。

総計数百億が回転した「自転車操業」の内幕

 そうした「現代の仕手筋」の代表的事例として、病院再生会社の「アスクレピオス」を巡る架空投資事件を高橋氏は、挙げている。

 氏によれば、この一件は、「立身出世欲に囚われた一人の商社マンによる出来心」が発端だと云う。嘱託社員として総合商社・丸紅に入社し、医療機器の販売に従事していた山中譲なる人物は、営業成績を水増しするため、建築設計をてがける「ジーフォルム」社長高橋文洋から資金の融通を受けるようになった。

 高橋側としても、丸紅との取引実績を作りたい、という目論見があったと云う。「ジーフォルム」は、靖国神社近くの雑居ビルに入居している零細な会社にすぎなかった。

 前後して、山中はメリルリンチに在籍していたこともある三田証券の齋藤栄功と知り合い、齋藤は山中の個人会社に一億五千万円を融資するが、それが焦げ付く。自らの社内の立場を守るため、齋藤は山中と共謀し、「病院再生事業を名目に投資家から資金を集めては、前の投資家への償還に充てる絶望的な自転車操業」に踏み込んでゆく。

 三田証券は、齋藤の示唆にしたがい病院再生事業に携わる会社アスクレピオスを設立、齋藤が社長に収まり、程なくして山中も入社。高橋は複雑な資金移動を担う。

 アスクレピオス社を舞台に上場ベンチャーへの接近を図った齋藤らは、業務提携、経営統合、株式交換などを行い、自転車操業は膨れあがるとともに、複雑極まりない様相を帯びてくる。

 平成十九年八月、リーマン・ブラザーズ証券法人営業本部事業法人部シニアバイスプレジデントの實貴孝夫が、齋藤の元を訪れた。實貴のメリルリンチ時代の上司だった埋田敏行が、アスクレピオス社の顧問になっていたのである。

 齋藤は實貴にたいして、病院再生スキームがうまくいっていること、ゴールドマン・サックスから二百億の融資を受けていることを話したという。実際にはゴ社からの融資は、数十億程度にすぎなかった。

 實貴は、この件を会社に持ち帰り、アスクレピオス社への融資にゴーサインを得て、十一月二十六日までに計五回、三百七十一億円を「ジーフォルム」に送金した。

 総計数百億円が回転する壮大な自転車操業が破綻したのは、平成二十年の二月末だった。その時に償還が約束されていた資金は、用意出来ず、また投資話は、そもそも架空だったということを、リーマン・ブラザーズを訪れた山中と高橋が、實貴に告白したのである。

 實貴はその場では、告白を「信用」しなかったと云う。丸紅を訪れ、投資についての会議に出席した「ライフケアビジネス部の佐藤部長」が偽物だった、と確認してはじめて、事態の深刻さを覚った。

 単純な詐欺事件とするには不審な個所が少なくない、と高橋氏は指摘している。第一に資金の受け皿となった「ジーフォルム」が、数十億円規模の病院再生ビジネスを担うような企業には到底見えないこと。丸紅の関連会社が、サラ金並の高利を払ってまで資金を調達する必要があるようには思えないこと。

 そして、何よりも貸し手であるリーマンの社員である實貴が、「(有)インテルウィット」の取締役として、六千万円、アスクレピオスに投資をしていたのである。「いずれにせよ、實貴は自らが所属する会社で巨額の投資を担当するとともに、個人でも儲け話に乗っていたことになる」

 有力商社の社員らが、自分たちの負債を穴埋めするためだけに、市場から莫大な資金を集めて、結局破綻してしまった顛末は、投資関係者のモラルの頽廃といった水準を超えた、より深刻な虚無の淵を想起させないではおかない。

 高橋氏は、平成二十年十二月の金融審議会の勉強会「我が国金融・資本市場の国際化に関するスタディグループ」において、過度の第三者割当増資、下方修正条項付転換社債型新株予約権付社債(MSCB)が議論の対象になり、MSCBの発行を禁止すべきだ、といった主張がなされた事について「感慨深い」と述べている。

 新株発行を取締役会議だけで決定できる日本のシステムの異常さを認識させようとしてきた仕事が、ようやく世間の認知を得てきた、という想いからだろう。

「経営陣の考えひとつで、支配権が変わるようなエクイティファイナンスが白昼堂々行われるのは、国際的に見て異常なのである」という持論が認知されるようになるまでの取材を振り返りつつ、かく綴る。

「取材しなければならない先には、あまりお目にかかりたくないような人たちも少なくないし、そもそも居場所さえよくわからなかったりする。ようやく探し当てても、取材拒否は日常茶飯だ。できあがった記事は当然、ある思惑を持った当事者にとって面白くないものだから、怒りの内容証明郵便が来たり・・・(中略)。

 個人的好奇心とすこしばかりの使命感をもって、長い間、継続的に、そして執拗に、問題をとりあげてきたが、金融政策のなかで論じられるようになったのだから、その甲斐があったように思う」

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