逆転キャリアのキーパーソンが仕掛ける、ソフトバンクの次なる一手「かざして募金」

安藤 光展

「マーケティング部には戻りません」

安藤:では、簡単に池田さんのプロフィールをお願いします。

池田昌人さん(以下、池田):はい。まず、1997年に東京デジタルホンという通信会社に入社し、その後、J-フォンという社名に変わりまして、全国化したのちボーダフォンという会社になりました。そして、ボーダフォンが2006年にソフトバンクに買収されてソフトバンクモバイルの社員になり、今に至ります。社名で言えば、現在6社目くらいなのですが、気持ち的には1社目に勤めている感じです(笑)。

全体のキャリアとしては、営業とマーケティングです。今のCSRの直前はマーケティングにいましたけれども、東京デジタルホンの時代はいわゆる営業職でした。6年くらいです。そのあとは、営業企画という営業マンが使うツールを作る営業サポートの部署です。その後は、事業者間の新しいサービスや枠組みを生み出す、全社的なプロジェクトを行う部署に異動しました。

ちょうどそのタイミングで、ソフトバンクモバイルとなりました。その時は経営企画にいたこともあり、孫(正義社長)に呼ばれて、新しいサービスを立ち上げると言われ、割賦販売や定額プランなどの新しい仕組みを作っていました。その後は、学割などのサービス展開をするマーケティング部署にいきまして、2011年3月の東日本大震災があった、という流れです。そして、2011年7月には正式にCSR部に配属になりました。

キャリアとして、営業からマーケティングに進んでいき、このまま僕はマーケティングの道を極めていくんだろうと、思っていたわけです。ですが、2011年からは最終的にCSR部という形になりました。

異動そのものは7月1日だったのですが、震災直後はマーケティングどころの話ではありませんでした。震災関連の対応をする部署ができ、そこに100%関わっていました。そのあと、震災直後の混乱が一段落した6月ころに、「マーケティングに戻るのか、それとも復興支援を続けるのか?」という選択肢がキャリアの中に生まれたのです。最終的には復興支援(CSR部)のほうに進みます、となったわけですが実際のところ悩みました。

安藤:長年、営業とマーケティングをやって、いきなりCSR部にって、180度違う職種ですし迷いはなかったのですか? 正直、キャリアアップとか一番できなさそうな部署じゃないですか。将来的な給与アップもなさそうですし。

池田:それまで、僕は上昇志向しかないような人間だったわけですよ。「他の誰より早く昇進するために実績作るぞ!」みたいな。そんな想いが当時の仕事に対するモチベーションでしたので、CSRに異動するとなった時に、いままでの営業・マーケティングの経験は基本的に捨てることになるわけです。本当に悩みました。

最後に踏ん切りがついたのは、「財団(東日本大震災復興支援財団)を立ち上げた時に、マーケティング(施策)が立てられる人間がいなければ、今後の計画が大きく変わる。池田がマーケティングに戻るのであれば、財団の規模を小さくするしかない」と上司に言われた時に、今ここでやらなければ一生、僕はあの時、被災地に何もしなかったと後悔することになると思ったのです。当時は都内で計画停電があったような大変な時期でしたので、自分の力が皆さんのお役に立てるのであれば、と考えました。

あとで後悔することは絶対したくないと思って、「マーケには戻りません、財団にいきます」と言いました。もう、寝れない日が続き、本当に悩みました。昔お世話になった上司に相談したり、妻に相談したりしました。みんな、「最後はあなたが決めなさい」と言ってくれるのですが、それが難しい(苦笑)。それでも選べない日が続きました。キャリアにおける一大決心でしたからね。一気に仕事観というか世界が変わりました。