[野球]
上田哲之「グリエルの気品」

スポーツコミュニケーションズ

 大谷の二刀流は、未だに賛否両論、かまびすしい。確かに究極の選択である。投手として20勝する可能性と、打者として3割5分、50本塁打打てる可能性(あくまで可能性ですよ)の、どちらをとるか、ということだから。そして多くの人は、20勝する方をとるべきだという。

 私なら、即座に3割5分、50本塁打の方をとる。別に、へそまがりなわけではないですよ。これはおそらく「文化」の問題である。日本野球は、根本のところで、投手中心なのだ。日本の社会が、そういう「文化」を育んできた。しかし20勝できる投手は今後も出現するかもしれないが、3割5分、50本の才能は、そう簡単には出てこない。少なくとも、21世紀もすでに十数年も過ぎた現在、日本野球にもそう考える「文化」があってもいいのではないだろうか。

 そして、グリエルのバッティングにも同じことが言える。体格、体力にすぐれた外国人選手のように、体に力をつけて強い打球を打つのか、それとも細身で敏捷な日本人の特徴を生かして、俊足巧打の野手をめざすのか。たとえば中田翔やT-岡田(オリックス)、あるいは阿部慎之助(巨人)なども前者に分類されるのだろう。後者は、あげればきりがないほど数多くいる。

 それが、これまでの日本野球の「文化」だったとすれば、今後、そこにグリエルのようなスイングを加味してもいいのではないだろうか。つまり、たとえ細身、非力であっても、力ではなく、前の大きいスイングで打つ、という「文化」を、これから根付かせてはどうか。折に触れ、日本人打者こそグリエルを目指すべきではないか、と言ってきたゆえんである。

 日本人選手が、エルドレッドや、あるいは昨季のウラディミール・バレンティン(東京ヤクルト)のようなスイングをするのは至難の業だろう。逆に、グリエルのような軌道のスイングを多くの打者が身に着けることならば、できるのではないか。

 たとえば、高校野球でそれが主流になっていけば、日本野球は緻密なだけではなく、これまでにない強打の野球文化を獲得することができる。そうすれば、これまでしばしば見られたことだが、WBCのような国際大会になるととたんに貧打に陥る、という可能性も低くなる。

 打者の気品というものは、物理的な力から生まれるのではない。そういう「文化」が研ぎ澄まされていった先に、スイングの軌道から生まれるのではないだろうか。 

上田哲之(うえだてつゆき)
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。