2014.07.11

[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
福田正博(サッカー解説者)<前編>「ブラジルW杯、ザックジャパン惨敗の要因」

スポーツコミュニケーションズ

ピッチに立つのが怖かった93年

二宮: ブラジルW杯での挫折を日本サッカー界は乗り越えないといけません。オフトジャパンの中心だった福田さんは、94年米国W杯アジア最終予選でいわゆる“ドーハの悲劇”(93年10月)を経験されました。同年にはJリーグも開幕し、日本サッカー界にとって、激動の1年でした。福田さんもご苦労が多かったのでは?
福田: 確かに、93年、94年はサッカー人生で最もつらい時期でした。Jリーグがスタートした93年は、僕自身が何か変化したわけではなく、周りの環境が急激に変わりました。代表を取り巻く環境、サッカー選手を取り巻く環境。当時はサッカーがマイナーからメジャーになるかどうかの重要な時期でした。日本の中にプロサッカーリーグを根付かせたいという強い思いがありましたが、今になって思えば、逆にその気持ちが強ければ強いほどプレッシャーになり、自分が思うようにプレーできない状況に陥っていたのかなと……。また、クラブと代表とのギャップにも悩みましたね。

二宮: ギャップと言いますと?
福田: 浦和ではチーム内の役割分担がはっきりしていなくて、試合もチグハグな内容で結果がついてこないこともありました。しかし、ハンス・オフト監督(当時)率いる代表にいくと、役割分担が明確なので、頭の中を整理した上でプレーができていました。代表とクラブの意識の差の大きさにいつも不満を募らせている状態で、ギャップを解消しようと無理をするとケガをしたり、コンディションを崩したりしてまた不満を感じてしまっていました。当時はその繰り返しでしたね。

二宮: そのような状況で、W杯予選に臨み、さらにドーハの悲劇を経験したわけですね。
福田: やはり、W杯予選でも自分が思うようなプレーはできませんでした。W杯に出場できなかったショックと、自分が何もできなかったショックで、浦和に帰ってきてからはピッチに立つことが怖かった……。選手は自信を失うと失敗するのを怖がるものです。そうなるとFWはシュートを打たない、前を向かない。横パス、バックパスばかりを選択するんです(苦笑)。前を向かなければ失敗することはないですからね。

二宮: 失敗を恐れる自分がいたわけですね。人気チームのヴェルディ川崎(現東京V)なら、ラモス瑠偉やカズ(三浦知良)など、日本代表選手がたくさんいましたから、周囲の注目も分散したでしょう。しかし、当時の浦和で日本代表選手は福田さんのみ。ひとりで背負い込んでいしまったと……。
福田: そうですね……。必要以上に自分がチームの中心としてやっていかなければいけないと、勝手に背負っていたところもあると思います。自分ひとりですべてができるわけがないのに、責任感を持ちすぎてしまっていました。ですから、いろいろなことが中途半端になってしまったんです。

二宮: しかし、95年シーズン、福田さんは32ゴールをマークし、Jリーグで日本人初の得点王に輝きました。福田さんの意地を見る思いがしました。
福田: 95年にドイツ人のホルガー・オジェックさんが浦和の監督に就任したんです。オジェックさんは、クラブでの僕の役割をきちんと整理してくれました。「君の役割はいち選手、FWとして点を取ることだ。それをこなした上でキャプテンとしての仕事をして欲しい」と。その言葉を受けて、試合中の集中力がグッと高まりました。オジェックさんが僕を暗いトンネルから救い出してくれたんです。でも、もっと早くオジェックさんと出会っていたとしても、僕は彼の言っていることが理解できなかったかもしれません。ドーハ後の苦しい時期もあったからこそ、オジェックさんの話を真摯に受け止めることができたと思っています。

二宮: 後編では福田さんのサッカー人生についてお聞きします。
福田: できれば、経験したくない出来事もありました。ただ、それらも含めて、今までの経験が糧になっていることは間違いないですね。

(後編につづく)

福田正博(ふくだ・まさひろ)
1966年12月27日、神奈川県生まれ。中央大―三菱重工/浦和。89年、三菱入りし、同年のJSL2部リーグで得点王となる活躍で1部昇格に貢献。95年には50試合32ゴールを挙げ、日本人初の得点王に輝く。02年の引退まで浦和一筋でプレーし、“ミスターレッズ”として多くのファン、サポーターに愛されている。日本代表には90年から選ばれ、主力として92年アジアカップ初優勝。93年にはW杯米国大会予選の“ドーハの悲劇”を経験した。現役引退後はJFAアンバサダーに就任し、全国各地で幅広いサッカーの普及活動をサポート。06年、JFA公認S級ライセンスを取得。08年から3シーズン、浦和のコーチを務めた。現在はサッカー解説者としてメディアで活動している。J1通算216試合、91得点。J2通算12試合、2得点。国際Aマッチ通算45試合、9得点。

☆対談ダイジェスト動画☆ 

☆本日の対談で食べた商品☆
「炭火塩だれやきとり丼」

 7月9日(水)より、「炭火塩だれやきとり丼」を新発売いたしました。
 すき家の「炭火塩だれやきとり丼」は、アツアツのご飯の上にたっぷりのシャキシャキ青ネギと、炭火で香ばしく焼き上げた鶏モモ肉にすき家特製の塩だれをからめて乗せた商品です。
 すき家特製の塩だれは、黒胡椒がよく効いており、鶏肉とも、ご飯とも相性抜群です。
 暑い夏でもさっぱりとお召し上がりいただける「炭火塩だれやきとり丼」を、ぜひお近くのすき家でお試しください。

※対象店舗1,995店舗(7月3日時点)
※こちらの商品はお持ち帰りもできます。
※からしマヨネーズとおんたまがトッピングされた「炭火塩だれとりマヨ丼」(並530円+税・大盛550円+税)もございます。

すき家 虎ノ門四丁目店
東京都港区虎ノ門四丁目1番19号


(店舗写真:守谷欣史)
すき家が世界展開にむけてつくったモデル店舗。2階建てで吹き抜けの店内は従来の牛丼チェーンにはない解放感にあふれています。おひとり様でもグループでも食事が楽しめる店舗です。

(対談写真:金澤智康、構成:鈴木友多)

協力:ゼンショー

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