シー・ユー・チェン 第2回 「フィンガーズとユーミンと、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』」

島地 勝彦 プロフィール

ヒノ チェンさんといえば知る人ぞ知るユーミンとの逸話を聞かせてください。

チェン ユーミンと知り合ったのもちょうどそのころです。彼女はわたしたちのバンドの熱心なファンで、いまで言う「追っかけ」みたいな感じだったんです。

彼女がただの追っかけとちがうところは、米軍基地に友達がいて自由に出入りできたらしく、PKでまだ日本に輸入されていない新しいレコードを入手して持ってきてくれました。「レッド・ツェッペリンって知ってる?」なんていって、誰よりも早く輸入盤のレコードを聴かせてくれたんです。

シマジ さすがはユーミンだ。まさに「栴檀は双葉より芳し」ですね。

チェン じつはユーミンというニックネームはわたしが名付け親なんです。彼女は当時ムーミンが大好きだったので、それに彼女の名前の「由美」と中国語の「有名」の音をかけて「ユーミン」とつけたんです。

ヒノ 将来有名になるようにとの願いが込められたニックネームだったんですね。その通りになっていますよ。プロになってからのフィンガーズの人気はどうだったんですか?

チェン それが会社の方針で「やっぱり慶應とアメリカン・スクールのボンボンのガキばかりじゃ売れないだろう。タイガースの沢田研二のようなイケメンを1人入れなければダメなんじゃないか」ということになりまして、バンドはまもなく空中分解状態になって、結局解散してしまいました。

当時はドロップアウトするのがカッコいい時代でしたから、わたしも「卒業しないほうが逆にカッコいいかもしれない」と考えて、上智を中退しました。そしてアメリカで40万人が参加したウッド・ストック・フェスティバルに成毛滋と一緒にロングヘアーで参加したりしていました。

シマジ そのころわたしはすでに「週刊プレイボーイ」の編集者になっていましたから、ウッド・ストックのことは記事にしましたよ。でも最初に「ウッド・ストック」ときいたときは、材木会社か何かの集会なのかと思いましたよ。

立木 シマジはずっと虎造が頭に纏わりついていたんだな。

シマジ そうかもしれないね。