シー・ユー・チェン 第2回 「フィンガーズとユーミンと、ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアー』」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ エレキギターブームの全盛期ですよね。

チェン ベンチャーズの来日がさらにブームの火付け役になりましたよね。65年から66年にかけて、フジテレビで「勝ち抜きエレキ合戦」という番組があったんですが、慶應にいた成毛滋率いるフィンガーズが圧倒的に強くて、4週連続勝ち抜いて無敵のチャンピオンになっていました。その成毛とわたしが縁あって親しくなりまして、フィンガーズのメンバーにならないかと誘われたんですよ。

ヒノ 凄いじゃないですか。チャンピオンのグループに誘われたのですか。もちろん入ったんですよね?

チェン じつはそのころ、わたしはUCLAから合格通知をもらっていて、母が入学式用のタキシードからなにからすべて揃えてくれていたんです。アメリカに留学すべきか、そのまま音楽を続けるべきか、わたしは体をよじって悩みました。結局エレキの魔力に負けて、母には反逆することになったんです。

シマジ お母さまは怒ったでしょうね。

チェン 「上智大の国際部に行くからUCLAはやめた」と伝えると、「お前はなんてバカな息子なの。これだけわたしが苦労して全部準備してあげたのに、日本でバンドをやるですって!」と激怒していました。

立木 母上のお気持ちが手に取るようにわかるね。

チェン 幸いなことに、フィンガーズの所属先はシャンソン歌手の石井好子さんが設立した事務所でした。石井さんは衆議院議長や法務大臣を務めた石井光次郎さんのご令嬢です。成毛だって親父さんはブリヂストンの副社長をしていましたし、仲間にはのちに「メリー・ジェーン」の作詞をした蓮見不二男もいましたが、彼の親父は外交官で当時は駐モロッコ大使でした。ヘンないい方ですが、毛並みのいい芸能プロダクションだったのです。

シマジ それなら母上も少しは安心なさったのではないですか。

チェン その通りです。石井さんが優雅に母を説き伏せてくれました。「お母さまのお気持ちはよくわかります。でもわたし自身若いときに、親の反対を押し切ってでもと思い立ちましてね、シャンソンを勉強しにパリに行ったんですの」って。これが功を奏して最後には母も「あの石井好子さんが預かってくださるなら、まあ仕方ないわね」と折れてくれました。